アイヌ遺骨返還請求訴訟

浦幌事件(北海道大学)

2014年5月27日、浦幌アイヌ協会(差間正樹会長、17人)が遺骨64体の返還などを求めて、北海道大学を提訴しました。


差間正樹さんロングインタビュー

日本国民救援会救援新聞(2015年9月5日)から

たたかい人(びと)

差間正樹さんロングインタビュー

アイヌの遺骨を戻せ

北海道・アイヌ遺骨返還訴訟
原告 差間正樹(さしま まさき)さん

 戦前から戦後にかけて、大学の学者たちが研究のためとしてアイヌの墓を無断で掘り返し遺骨を持ち去った問題で、北海道に住む遺族やアイヌ団体が北海道大学に対して遺骨の返還を求めて裁判をおこしています。原告の一員である浦幌アイヌ協会会長の差間正樹さんにお話を伺いました。(編集部・吉田)

 頭蓋骨を計測すれば人間の性格や能力が分かるとして、人類の進化の過程を探る形質人類学という学問が、明治期に日本に流入しました。北海道に居住していた先住民族のアイヌは、容姿が欧米人に似ていると思われたことから特に注目され、各地の研究者がアイヌの墓を掘り起こしました。全国12の大学に1600体を越える遺骨が保管されています。

 中でも、裁判の被告である北海道大学には、千体以上の遺骨が保管されています。北大は当時、墓は放置されており遺骨は身寄りのない無縁仏だったと正当化して盗掘を続けました。

 「学者はアイヌの死者に対する考え方を理解していない」と差間さんは憤(いきどお)ります。

 「アイヌでは、死んだ人は土に埋められ、安らかな眠りに入ります。生きている者が墓に出入りすることは死者の眠りを妨げ、この世に災いをもたらすと考えられています。だからアイヌは墓に近寄らないのです。昔は集落の者が狩りに行くとき、エカシ(長老)から墓の見回りを欠かすな言われたそうです。見ると言っても墓標に手を合わせはしない。遠くからそっと見守り気遣ってきたのです」。

元ある場所に遺骨を戻して

 いまになって北大は、当時の遺族の同意を得たはずだから違法ではなかったと主張していますが、その証拠はありません。一方で、当時の研究者が遺族の目から隠れて墓を掘り起こしていたことが、多くの証言から裏付けられています。

 差間さんが在住する十勝地方の浦幌町コタン(集落)から北大が持ち出した遺骨は64体。差間さんら原告の返却の訴えに、北大側は「祭祀承継者等にお渡しすることを切に希望して」いるなどと答弁しています。

 「遺骨をお構いなしに持っていきながら、返すときには遺骨の子孫である証拠を示せという。それができなければ返さないというのが北大の言い分です。根底にはアイヌに対する民族差別があるのでしょう」。

 アイヌでは、死者の埋葬は家族単位ではなく、各コタンごとにおこなわれています。遺骨をどのコタンから持ち出したのかという記録は残っており、返還は可能です。アメリカでは、研究目的で収集した先住民の遺骨をトライブという地域社会に返還した事例があります。

 「政府は、アイヌ民族博物館がある白老町に慰霊施設を作り、そこに遺骨を集約する計画を立てています。一部の学者は、そこでなおも研究を続けると主張します。それでは北大の行為の責任が曖(あい)昧(まい)になり、問題の解決にはなりません。コタンから持ち出した遺骨なのだから、コタンに返してほしい。それが私たちの願いなのです」。

長年にわたるアイヌの差別

 明治以降、本土から大量に流入した「和人」よって土地を奪われたアイヌは、「旧土人」と呼ばれ何代にも渡り差別や偏見を受け、差間さん自身も苦しんできました。

 「私が他の人と扱いが違うと感じたのは小学校ぐらいからでした。組体操でやたら押しつぶされたり、会話中に『何を半端もんが』と怒鳴られ、小馬鹿にした態度をされました。父は周囲から自分たちがアイヌだと思われることを警戒し、家にはアイヌの装飾品などは一切無く、天皇の写真が掲げられていました。私がアイヌっぽい言葉を使うことも嫌がりました。高校ぐらいからは睡眠薬を飲み、毎日気を張って生活していました。成人してからも見知らぬ人に『おーい、厚内のア』と言われました。

『ア』の後に続く言葉は『イヌ』です。結婚して家を建てる際の融資を役場に申請しても、不要な手続きをさせられ決済を渋られました」。

 昨年、札幌市議がネット上に「アイヌ民族、いまはもういない」などと書き込み批判を浴びました。アイヌの歴史を修正も動きもあります。今年4月、来春から中学生が使う一部の歴史教科書の記述が、文科省検定により書き換えられ、「政府はアイヌの人々に土地をあたえて」と修正されました。アイヌに対する攻撃は今も続いています。

絶望の日々を今終わらせる

 研究対象とされ、標本庫の棚にさらされたアイヌの遺骨。先祖がそうした扱いを受けていることが、自分たちの頭を締め付けると差間さんは言います。

 「アイヌはもともと大自然の懐(ふところ)に抱かれ、シカを狩りサケを獲り、幸せに暮らしていました。それが日本政府によって僻(へき)地に追いやられ、ネズミを食べて生活する塗炭の苦しみを味わいました。私の後に続く人たちも、先祖と同じ苦しみを味わうならば、アイヌにとって絶望の日々が続くでしょう」。

過去の謝罪が未来への一歩

 裁判は札幌地裁で審理が続いています。北大は、裁判で敗訴しなければ遺骨は返還しないことを明言しています。

 「私は、遺骨を取り返すことと合わせて、北大の謝罪がほしいと思っています。謝罪となれば、何について謝るのか、どう謝るのか言及されます。その上で今後どうするのかを双方が考える場が持たれ、未来への展望とつながります。アイヌには培(つちか)ってきた歴史と考え方がある。よその国の価値観で曲げることはできません。それを認めることが差別解消にもつながり、歴史の教科書を書き換えるような話も出てこなくなるでしょう」。

 国民救援会北海道本部は、この裁判をアイヌの人々への重大な人権侵害を追及する裁判として支援しています。

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※この記事は、日本国民救援会救援新聞編集部のご許可のもと、全文をそのまま北大開示文書研究会のウェブサイトに転載しました。同紙編集部に深く感謝申し上げます。(北大開示文書研究会)