アイヌ遺骨返還請求訴訟

2018/07/31

浦幌アイヌ協会「だいがくにもちさられていたご先祖の遺骨を慰霊するイチャルパ」

浦幌アイヌ協会 大学にもちさられていたご先祖の遺骨を慰霊するイチャルパ

終了しました。


2018年8月18日午後、浦幌町営墓地で、帰還遺骨の再埋葬を終えて。

記者 ご先祖にかけるお言葉があれば。

差間正樹さん
これでやっとふるさとに迎え入れることができたわけですけれども、先祖の遺骨に対しては、これからゆっくりとお休みください、ただこの一言です。

記者 コタンの再生がキーワードでした。

差間さん
私たちはアイヌですけれども、これはとりもなおさず、先祖の子孫であります。ですから私たちは、一人一人は団体ではなくても、一人一人が個人ではあっても、やはり子孫であることには違いはないと思います。そのことを、先祖とのつながりで改めて強く感じている次第でございます。

記者 まだ札幌医科大学と係争中です。

差間さん
これはもう確実に返してもらうということで私たちは考えています。ほかにも、全道各地にね、まだ存在している遺骨に対しても、これから私たちもアンテナを広げて、今後とも遺骨返還に向けて頑張っていきたいと思います。

記者 北海道大学に対しては。

差間さん
いろいろあるんですよ。やっぱり謝罪と賠償というのは、私はやっぱりこれは、私たちは裁判では和解ということで取り下げておりますけれども、やはりこれは研究者に対してですね、責任ていうものをもう少し感じてほしいと思っております。

記者 児玉作左衛門はひと世代も二世代も前の研究者です。いま大学に務めている学者たちは「関係ないよ」といっているように感じます。

差間さん
これはまったく続いていると思います。児玉作左衛門の研究試料であることには変わりないんですから。その研究試料に携わっている人は全て、関係あると思います。遺骨を収集したということに対して、責任を感じるべきだと思うんです。もし責任を感じないんであれば、その遺骨をすべて発掘当時の試料とともに返還すべきだと思うんですよ。それをいつまでも北大の中に残しておくと言うことに対しては、どうかなと思うんですよ。いまだにDNA研究ということを理由に遺骨を手放そうとしない研究者に対して、私は本当に憤りを感じている次第でございます。


2018年8月19日午前、浦幌町厚内のイチャルパ会場で儀式後に。

記者 今のお気持ちは。

差間正樹さん
去年、63体、そして今年14体。返還になったんですけども、私たちの地元に埋葬できればこれでひと安心、一段落だと思っていたのが、やはりですね。去年63体を私たちが再埋葬してからは、私たちに相当、精神的な影響を与えております。決してこれが一段落とかひと安心ではなくて、これから私たちと先祖たちとの関係が新たに始まるという意識が、自分たちの中で強くなってまいりました。

記者 先祖と一緒に暮らしていく、という感じですか?

差間さん
そうですね。私たちがこうしてあるのも先祖のおかげでありますし、……(長い黙考)……なんて言ったらいいんでしょうねえ。先祖をお迎えして、私たちとともに今後どう暮らしていく、そんな感じですね。はい。

記者 全道的にはまだ故郷に戻っていないご遺骨がたくさんあります。

差間さん
私たちは、あくまでも、先祖の骨は地元に返していただいて埋葬するという、そういう考え方で今まで行動して参りましたけれども、全道的にもそういった動きになってくれればと思っております。先祖を自分たちの土地にお迎えして、それでつくづく分かったことはですね、私たちは先祖と友にある、という考え方。たいへん私たちの心に強く影響を与えております。これをぜひ全道のアイヌのみなさんにお伝えしたいと思います。

記者 北海道大学から謝罪などがないことに対しては。

差間さん
現在研究に携わっているみなさんと、戦中戦後続いてですね、明治時代から遺骨の発掘に関わった人たちとは、やはり考え方が違うのかも知れませんけれども、この遺骨の研究に関わっている限りは、あくまでも発掘の時点にさかのぼる責任ていうんですか。それを考えてほしいと思っております。

記者 北海道大学の遺骨発掘に北海道庁も関わってきた、という話も出てきました。

差間さん
発掘時に関わった研究者の皆さんのフィールドノートっていうんですか。野帳。そういったものの開示が全然進んでいないように思います。いまだに新しい事実が出てくるということは、そういうことだと思います。やはりこの遺骨に関してはですね、あくまでも研究に携わっているみなさん全員で、責任はどこにあるのか、何でこんなことが起きたのか、私たちはいつまで情報を手に入れるために時間を費やさなければならないのか。そういったことに対して、研究者自身がもうちょっと責任を感じてほしいと思っております。

記者 先住民族の権利が少しは回復されたとお感じですか?

差間さん
先住民族の権利を主張できる「先住民族」に、私たちは一歩進んでいるという感触でいます。あくまでも先住民、個々ではなくて、先住民の団体としてこの遺骨返還を成し遂げたと言うことで、団体としての自覚をこれで少し、自分たちで持てたと感じています。自分たちがこの遺骨返還の行動を起こすことによって、自分たちの心の中にいろいろな影響を受けてきていると思います。これは、みんなの協力でできたことだと思っています。


2018年8月19日(日曜10:00~11:00、雨天決行)

儀式会場 浦幌町浜厚内生活館 浦幌町字チプネオコッペ1-22 電話015-578-2235

主催 浦幌アイヌ協会 ?015-578-2246(差間正樹会長)
協力 コタンの会、北大開示文書研究会、アイヌ遺骨返還訴訟弁護団

会場 浦幌町浜厚内生活館

   浦幌町字チプネオコッペ1-22 電話015-578-2235

協力 コタンの会(代表/清水裕二)、北大開示文書研究会(共同代表/清水裕二、殿平善彦)、アイヌ遺骨返還訴訟弁護団(弁護団長/市川守弘)


ご支援をお願いします

地元から持ち去られたアイヌの遺骨の尊厳ある帰還を実現するために、みなさまのご支援を求めています。ご支援金は、返還骨を迎えるカムイノミやイチャルパの費用に使わせていただきます。ぜひご協力ください。当日会場でも受け付けます。


北海道大学から浦幌アイヌ協会に返還される遺骨について

浦幌町・愛牛コタンの墓地は、1934年(昭和9年)10月下旬、北海道(帝国)大学医学部解剖学第二講座の児玉作左衛門教授らによって、墓暴きの被害を受けました。和人学者は「アイヌのための研究」とうそぶき、コタンの人たちの同意も得ずに多数の墓を暴いて、大勢の遺骨を掘り返し、持ち出しました。大学に送られた遺骨は、児玉教授の研究室に頭蓋骨コレクションとして陳列されるなど、長らく同大学構内に留め置かれていました。浦幌アイヌ協会による返還請求訴訟が昨年3月、札幌地裁で和解に達し、ようやく返還が実現しました。同年夏には63人分と人数不明の遺骨合わせて82箱の返還を受け、町営浦幌墓園でアイヌプリの再埋葬を執りおこないました。今回は、残る13人のご先祖たちのご遺骨を84年ぶりに故郷にお迎えします。


イチャルパのちらし pdf 480kb