アイヌ遺骨返還請求訴訟

紋別事件

2014年1月、畠山敏さんがモベツコタン(北海道紋別市)由来の遺骨4体の返還などを求めて、北海道大学を提訴しました。


畠山敏さんの意見陳述書

アイヌ遺骨返還請求訴訟第8回口頭弁論(札幌地裁、2014年4月4日)における原告・畠山敏さんの意見陳述書です。

畠山敏さん

意見陳述書

2014年4月4日

住所(略) 畠山敏

 私、畠山敏は、和人最古の記録「津軽一統志」(1670年)に「まふへつ村アイヌ人百人ほど。大将クヘチャイン」と記述されたモベツコタンに生まれ育ったアイヌ人漁師です。私の祖父は、明治8年(1875年)の紋別場所の戸籍簿に「幌内から湧別までの海岸筋・川筋・山奥までの10ヶ村92戸361人を統率した「アイヌ曾長」と記述されている(新紋別史上巻)キケニンパ(後に大石蔵太郎と改名)の血を引く先住民族の漁師であり、初代の北海道ウタリ協会(現アイヌ協会)紋別支部長でもありました。私はその父から漁業経営と支部長の要職を引き継ぎました。この10ヶ村にはそれぞれの墓地があり、私の先祖は、この10ヶ村を統率していたのです。

 今回引渡しを求めている遺骨と同一地域から収容された310体の遺骨は「元紋別墓地改葬納骨堂」に納骨されており、毎年私どもが先祖供養の催事(イチャルパ)を執り行っております。

 その経緯について申し上げますと、明治17年頃から昭和18年頃まで現在の元紋別11番地に私たちの祖先が埋葬されていた墓地の一つがありました。その後都市化が進み、遺骨が傷つけられることをおそれ、ウタリ協会紋別支部が市に移転改葬を強く要望し、第一次紋別市元紋別墓地移転改葬事業が平成元年9月13日から9月29日まで行われました。96体の遺体を収容し、遺体ごとに火葬し、紋別墓園に新しく建立した納骨堂「元紋別墓地改葬納骨堂」に遺骨を納め納骨堂の開眼式を挙行し第一次事業を完了しました。

 さらに第一次調査でもれていた部分について平成8年7月、ウタリ協会紋別支部は「旧元紋別墓地に接続している土地であるから、埋葬遺体が存在する可能性が高いので再調査を要望する」と市へ要望、その結果、平成9年9月9日から10月31日の期間で第二次旧元紋別墓地移転改葬事業を行いました。

 214遺体収容し、紋別市葬苑(火葬場)において焼骨・納骨し、紋別墓園「元紋別墓地改葬納骨堂」において霊を弔いました。その後毎年アイヌ協会紋別支部の重要な事業として先祖供養のイチャルパを執り行っております。

 今回引渡しを求めている遺骨はモベツコタンに住んでいた私達の先祖の遺骨であり、私達により、これらの遺骨と同様に、先祖供養されるべき遺骨であり、私どもの手元に存在しないこと自体が耐えがたい異常事態なのです。目的や経緯はどうであれ、我々の了解を得ずに持ち去られたことは事実です。

 早急に返還されることは当然ですが、併せて違法に持ち出したことに対し、深い悲しみと強い怒りを禁じ得ません。納得できる謝罪を求めます。