北大開示文書研究会のシンポジウム・出前講座

アイヌの遺骨はコタンの土へ 歴史的な再埋葬を語る集い

第2部「パネルディスカッション/遺骨返還から先住権の回復へ」

コーディネータ 殿平善彦(北大開示文書研究会共同代表)
パネリスト 差間正樹(訴訟原告、浦幌アイヌ協会会長)、清水裕二、市川守弘

殿平善彦

第2部は「遺骨返還から先住権の回復へ」というテーマでパネリストのみなさんのご発言をいただきます。私は北大開示文書研究会の共同代表を務めております殿平と申します。きょうの第2部の司会をさせていただきます。よろしくお願いします。(拍手)

殿平善彦さん

お話を聞かせていただいて、第1部ではこれまでのお話が出たんだけれども、どっちかっていうとこの2部は、この再埋葬を通して、私たち──アイヌのみなさんの未来、そして私たちもともに一緒にいかせていただく──そんな私たちの未来をどう豊かに開いていくのか、そのために私たちがなすべきことはなんなのか。そのことをみんなと一緒に考えようという時間にしたいと思います。

ではまず、最初に市川弁護士から、きょう午前中の和解について、これからの遺骨返還にもかかわってくることですので、ご報告いただくことから始めたいと思います。

市川守弘

紋別市からは1941年、4体の(アイヌ)遺骨が、どうも第三者が発掘して、それを北大に持って行った、という記録があります。(紋別のケースが)杵臼や浦幌と違うのは、北大が発掘していない、という点。このことから、和解内容が杵臼や浦幌とはじゃっかん異なります。つまり、北大が意図的に目的を持って(アイヌの)墓を暴いて持って行った骨ではない。地元のだれかが発掘したものを北大に送った、というものなんですね。

そういう(経緯で収集された)のは結構あって、たとえば札幌医科大学に開示請求をすると、ほとんどが第三者(から提供された遺骨)、あるいは地元の教育委員会とかが(アイヌの骨を)発掘してそれを大学に渡しちゃってる、というケースが多いんですね。

そういう事情がありながらも、(紋別のケースは)畠山敏さん個人が原告となって訴えを起こしました。ただし、和解にあたっては、紋別アイヌ協会が正式に「利害関係人」として参加し、北大は紋別アイヌ協会に4体の遺骨を引き渡すという和解条項になりました。もちろん、引き渡す費用──霊柩車で北大から紋別まで運んでいく費用ですが──は全部、北大が負担します。

畠山さんの話では、紋別市の共同墓地に(これまで市内で行なわれた)いろんな道路工事とか港湾工事とかで300を越える(アイヌ)遺骨が出土していて、それを共同墓地の片隅に霊安室を建てて、そこに仮保管されているんですね。(北大からの返還遺骨も)とりあえずそこに入れて、今後どんなふうに埋葬していくのか、紋別アイヌ協会内部で議論しながら……。畠山さんの希望としては、紋別市に費用負担をさせて、何らかの形で埋葬をしたいというふうに思っておられるようです。ただ、いつになるかは未定なので、とりあえず(北大との)和解条項では、共同墓地の320の遺骨と同じ納骨堂に仮安置する、という内容になりました。それ以外の慰謝料などの請求は放棄する、という和解内容です。

先ほど言いましたように、「紋別アイヌ協会に返す」っていう点が一番大きなポイントかな、と思っています。

殿平善彦

ありがとうございました。本当は畠山さん、和解を成立させた本人から今日ここでご報告いただく予定だったんですけれども、何せ遠くて、向こう(紋別)でどうしてもご用があるということで、迷っておられたんですけれども、みなさんに申し訳ないけれども、ということだと思いますけれども、ここにご参加いただけないことになりました。でも、和解が成立したという、新しい一歩を紋別アイヌ協会が踏み出したことを、まずみなさんにご報告することができたと思います。

もうひとつ、いま和解の協議が進んでいるところがございます。それは浦幌アイヌ協会。そして差間さんであります。今日は、和解には至りませんでしたけれど、来年2月には和解に至るという展望が見えているところであります。差間さんがこの遺骨返還の裁判に臨まれた思い、そしてこれからの展望をお話しいただきたいと思います。

差間正樹

みなさん、こんばんは。浦幌アイヌ協会の会長をしています、差間正樹と申します。私たちがこの裁判に参加したのは、自分たちの土地から持って行かれた骨は、自分たちの土地に返してもらう。そのことになんの不自然があるのか。私たちの土地から持って行ったものは返して欲しい。その思いで裁判に参加いたしました。

差間正樹さん

ここにおられます小川隆吉エカシ。そして城野口(ユリ)さん。(遺骨の帰郷を見届けることなく)本当に残念な思いのまま亡くなってしまわれましたけれど。私たちもやはり自分たちの土地から骨を持って行かれて。ずっーと札幌の北大で行なわれておりますイチャルパ、これに参加はしていたんですけれども、なんで交通費を負担して毎回(地元から250kmも離れた札幌の北大まで)行かなければならないのか。途中から──北大のほうから提供されたお金も関係しているのかな──1人分くらい交通費が出るようになりましたけれども。私たちの代表であると自負している団体(北海道アイヌ協会)が資金的にあんまりよくない状況になったのか、その旅費はまた自分たちで負担しなければならないように今、なっております。

ところがですね、2020年の、私たちとは何の関係もない東京オリンピックを機会に──と言ったらまずいでしょうかね(笑)──そのころに出来上がる施設(白老町内に政府が計画している「民族共生象徴空間」)に私たちの(祖先の)骨を集約するという考え方が出て参りました。これはまずい。ほんとにまずい。私たちは、北大の責任を追及してきたはずなのに、その間に北海道アイヌ協会が入ってしまったら、私たちが北大に対して「返して欲しい」と言った、今までの経過がなしになってしまうんじゃないだろうか。そんな危機感を持ちました。

私たちの偉大なエカシ・小川さん、城野口フチさん。その2人の背中の後ろの方に連ならせていただきまして、裁判に参加した次第です。私たちの態度は、北海道アイヌ協会と違うのか。究極のところ、私たちの骨を私たちに返してもらうという点では(目指すところは)同じであるとしても、白老に集約するというのはちょっと違うぞ。そういった思いは今も持っております。

この裁判に参加したことに対して、全く後悔しておりません。ただ、(この裁判の原告に対して)「謝罪も賠償も要求しない、ヘンな動きをしている人たちがいる」という人がいます。私は、民法・憲法を含め、あまり詳しいことはよく分からないんですけれども……この謝罪と賠償については、申し訳ないんですけど市川弁護士から後で説明してもらいます。(笑)

私たちは、とりあえずこの動きを自分たち、浦幌アイヌ協会として決定いたしました。これについては、自治体(浦幌町)に対しても協力を要請したりしています。それから札幌医大にある1体。これは私たちの教育委員会から「預かって欲しい」というふうに医大に持っていかれた骨だと言うんですけれども、当の浦幌町教育委員会は「まったくあずかり知らぬことだ」と言っております。札幌医大はしっかり文書を用意していて、当時の浦幌町博物館学芸員の自筆の、印刷したものではなくて、原稿用紙をつけて、「浦幌町教育委員会から預かったもの」と言っております。私たちはその遺骨を返して欲しいと言いましたら、札幌医大も「もちろんすぐ返しますよ」というお返事でした。ところが浦幌町はまったくこのことを知らないんですよ。まあ私、この件について議会で取りあげて──私の取りあげ方がまずかったのかも知れませんが──ずいぶん議論になったんですけど、結局のところ、私たちの先祖の骨が、どういう処置をされてどういうふうになっているのか、だれも責任をとってくれません。

自分たちの先祖は、自分たちが生きてきた土地の中に収められて初めて「安置」される。深い眠りに入っていく。私たちの言い伝えでは、その深い眠りに入った先祖は、神の世界と、われわれのいる世界とを行ったり来たりしながら時間を過ごしていく。だから私たちはみだりに墓に近づかないように、とも言われております。なぜか? 深い眠りに入った先輩、先祖たちが、私たちが足を踏み入れることによって眠りを妨げられて、やがて私たちの世界に大きな災いをもたらすかもしれない、そういった言い伝えもあります。

とにかく私たちは早く、何としても先祖の骨を地元の土の中に埋め戻す、この作業に向かっていきます。この動きに対しまして、私たちはやっぱり、和人の方たち、シサムにたくさん助けられています。市川弁護士をはじめ、多くのみなさん。本当に助けられて今までやってまいりました。先祖を慰霊するというこの行為をもって、私たちがひとつにまとまって、日本政府には認められていないコタンを、私たちの地域に再生して、漁業権(再獲得)にも向かって、さまざまな権利に向かって突き進んでいきたいと思っております。

今後とも、マスコミを通じて、私たちの世界のことをもっと知ってもらって、いろんなご協力をいただいて、みなさんとともに、私たちがこの豊かな、いろいろな民族が住んでいる北海道を作っていきたいと思います。どうぞみなさん、よろしくお願いいたします。(拍手)

殿平善彦

漁業についてもう一言どうぞ。

差間正樹

私たちは十勝川河口で、明治初期、大きな財産を作るような漁業をやっていたのは確かなんです。それがいろいろなドサクサで、北海道旧土人保護法(1899年)ができるころにはもうすっかりなくなってしまいました。私たちは地域に住んでいる先住民として、コタンを構成するアイヌとして、もう一度その漁業権を復活させたいと思っております。漁業権を復活することによって、シャケが北海道(の河川)で生まれ、北洋に行って、また戻ってくる。この豊かな大きな循環の中で、私たちが役割を作って、みなさんとともに自然豊かな北海道を作っていきたいと思っています。(拍手)

殿平善彦

先住権としての漁業権をアイヌが勝ち取っていく、この闘いも、まさに遺骨返還の向こうに見えてくる大事な課題だと、差間さんもこれから課題に据えていらっしゃると言えると思います。

では次に……。今年10月19日から22日まで、アメリカで開かれた「世界先住民族法会議 2016 World Indigenous Law Conference」という会議に、清水裕二さん、橋本隆行さんのお2人が参加してくださいました。清水さんは「コタンの会」代表であり、私たち北大開示文書研究会の共同代表の1人でもありますけれど、国際会議に参加して、この遺骨の問題を報告して、多くの人びとと連帯のエールを交わしてきたばかりの清水さんに、その報告を中心にお話をいただきたいと思います。

清水裕二

清水です。最初のあいさつの中で言わなきゃいかんと思っていたんですけど、忘れたこと……。山崎(良雄)さんに「現状どうなの?」と先ほどうかがったんですが、7月17日に再埋葬したお墓は「何の変化もなくあの時の状態のままです」ということで、安心いただきたいと思いまして、まず付け加えて報告しておきたいと思います。

さて、世界先住民族法会議に行ってきたわけですけども。(渡米したついでに)UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)にも寄ってきました。具体的な中身は(同校に保管されているアイヌ遺骨の返還問題について、デリケートな協議の最中なので)申し上げられませんが、厳しい話もありました。

世界先住民族法会議では、(写真を示しながら)(米国カリフォルニア州マリブ市の)Wishtoyo's Chumash Villageていうところを訪問いたしました。直径20メートルくらいのドーム(型の伝統家屋)の中で、地元の先住民族であるChumashの人たちが、(北海道から来たわれわれアイヌのために)歓迎式を開いてくれました。私、歓迎式があるなんて想定していなかったもんだから、じゃっかん驚きました。15分くらい延々と、アイヌがヨモギでするように、野草を使いましてね、私たちの体を全部、清めてくれました。参加されたみなさんに囲まれて、幸せな旅ができるようにとお祈りをしてもらいました。

そこで昼食をいただきながら、いろいろお話をしました。(浦河町杵臼での大学からの返還遺骨の)再埋葬のことを話そうとしたら、向こうから先に「ジョウノグチ・ユリ」と名前が出てきて、「えっ?」と思ったら、どうもインターネットを通じて(「コタンの会」の再埋葬についてのメディア報道を)見ていたらしいんです。「ずいぶん派手(な再埋葬と儀式)でしたね」という言い方をされました。

「みなさんも遺骨を返してもらったり、それを再埋葬したりしたことがありますか?」と質問したんですね。通訳を通して。「ありますよ」という話でした。「ご先祖様のお骨ですから、静かに、親戚の人たちが静かに静かに受け取って、再埋葬するのが、本来の私たち先住民族のしきたりではないだろうか」というお話もありました。

それを聞かされて、実は私も驚いたというか……。こんなことを思い出しました。私の親父、おふくろたちも、「ご先祖に対して敬う気持ちを持っていなきゃ」とさんざん言っていたのを。「そうだよな」という思いが心の中に湧きまして。

今回の世界先住民族法会議は、10月19日から22日まで、ベックマン・センター(The Beckman Center of the National Academies of Sciences & Engineering)という会場で開かれました。(メイン会場は)階段式の、100名くらいが入るようなホールで、ほぼ満杯でした。数えていませんけれど、およそ80くらいの先住民族が……(同時通訳の)レシーバーもありませんでしたから……私、先住民族の国際会議は3回目でしたけど、隣で通訳の人がべらべら(日本語に訳して)しゃべるんですよねえ(笑)……次から次から、順番を待って。頭の中で整理する余裕もなかったというか。何を聞いたんだか思い出せないくらい(笑)。

そんな中でいくつかをご紹介します。あるインディアン・トライブの方は、ウラン鉱山の再開発問題について訴えていました。再開発を進めようとしているのが日本企業だということで、それを言う時、「Japanese」とこっちが指さされました。(私は)アイヌなのに。(笑)そんな場面もありました。日本に対する警戒心が強い。特にネイティブ・アメリカンのみなさんは、いろんな面でそういうことをお感じになっているように思いました。

さらに、スタンディングロック・スー族(Standing Rock Sioux Tribe)の領域に石油のパイプラインを建設される計画が持ち上がっていて、それに対する抵抗運動のことが話されました。

また、カリフォルニア州のあるトライブでは、貝塚の中にお墓を作っているそうですが、その貝塚を(開発のために)整理する(という計画の)問題があって、「お墓を壊されたらえらいこっちゃ」というんです。そこから参加していた青年──背の高い──によると、この民族は州政府に(先住民族のトライブとして)認知されていないそうです。連邦政府も認めていないでしょう。であるがために、かどうか分かりませんけども、自分たちのお墓が容赦なく破壊されようとしている、ということで、これも驚きました。この方は、私が(コタンの会への遺骨返還について)発表した後、わざわざ私のところへ来て、この話を聞かせてくれました。

私の発表は、「尊厳あるアイヌ人骨返還のために」と題して、なぜアイヌ人骨が集められたのか、とか、北大に話し合いを求めたがなかなか応じてくれなかったので裁判を起こすことになった、という話をしました。和解協議を経て返還してもらえることになった。それを受けて7月に再埋葬事業を実行した。私たちは常に(遺骨に対して)尊厳ある返還(を念頭)に取り組みました、と。

(私たちが参加した)そのセッションは、意外と(参加者の)少ない、15名くらいかな、小さい部屋でしたから、本当に真剣に聞いてくれて。先ほど上映された藤野(知明)さんのビデオ(コタンの会制作「85年ぶりの帰還 12人の遺骨が杵臼コタンへ」)を見てもらって、「こんなひどいことが」と涙を流してくれる女性もいました。「アイヌの民族衣装を着せて」と言われたので(私のを貸して)写真を撮ったり。じゃっかん感情的な話もしたのかな。実に話を良く聞いてくれたな、と思って帰ってきました。

貴重な会議に参加させてもらって、開示研のみなさん「コタンの会」のみなさん、ありがたかったなあという思いでいます。

一緒に行った橋本隆行くんが、きょうは仕事の都合で来ていないんですが……。彼は初め、「行きたくない」と言っていたんです。でも(帰ってきて)感想を書いてくれて、驚きました。

「もし近い将来、別の機会でアメリカに行き、先住民の人たちに会う機会があったら、問題に対峙する2つの立場の人たち──先住民族とそれ以外の人たち──の当事者としての意義の持ち方について知ることができればと思います」

ここまで変わったんだな、今後に期待したいなという思いで帰ってきたんです。以上です。(拍手)

殿平善彦

ありがとうございました。ここで市川弁護士から、さっき差間さんから出た「謝罪と賠償」について、また先住権行使の大きなことも含めて、お話をいただきたいと思います。

市川守弘

差間さんがおっしゃったように、(遺骨返還訴訟の原告たちが)和解したことに対して「(北大は)謝罪もしていないじゃないか」「お金も取ってないじゃないか」「何でそんな(条件)で和解するんだ?」という人がけっこういるんですよ。

厳密に言いますね。(「謝罪や賠償を北大に求めるべき」と主張する人が問題にしている対象は)遺骨を発掘したことに対してのことなんですよね。でも法律上、裁判で謝罪を求めることができるのは、名誉棄損(に対するもの)だけなんです。謝罪広告を求めることができる。それ以外について「謝罪しろ」というのは、法律上の請求にはならないんです。「(被告に)謝罪を求める」と裁判所に求めたら、審理するまでもなく訴状却下。相手にしてもらえません。だから、これ(謝罪)は法律でも求めることじゃないんです。

日本は(一般的に)まずは政治的に(解決を図ろうとして)、国会にも請願に行ったりして、それがダメなら最後に裁判に訴えました、とよく言うんですけど。これ、間違いなんですよね。アメリカなんかではまず裁判。裁判所が認めなかったら、「じゃあ議会に行って法律を変えちゃおう」。裁判の次に政治的な動きになるんです。日本では、最後の最後に裁判所が何か救済してくれると思ってる(人が多いと思う)んですが、これは大いなる誤解で、そもそも「謝罪」の請求は、裁判所は受け付けません。

もうひとつ、賠償(請求)なんですけど──。(北大の研究者によって墓地が暴かれたのは)杵臼で85年前ですね。まず法律上は簡単に時効(切れ)なんですよ。被害を受けたことをそれまで知らずにいたという場合だと、「知った時から3年間」は猶予があります。だけどその「知った時」が、違法行為のあった時点から20年以上過ぎていたらもうダメです。これ「除斥(じょせき)期間」ていうんですけどね。

そういう法律上の枠があるんです。盗まれた──盗掘されたことに対する謝罪とか賠償金というのは、そもそも請求が立たないんです。

私たちが(アイヌ遺骨返還請求)裁判の訴状で「慰謝料」と言っていたのは、遺骨が(本来あるべき墓に)ないことによって、日々、現在進行形で(原告の)「信仰の自由」が侵害されているんじゃないんですか? という趣旨で、とりあえずくっつけたんですね。でも、そこはこっちも、争うための証拠を出たりしていませんでした。なぜかというと、とにかくもう「骨を返せ」というのが一番だったから。「慰謝料」をとりあえず(請求項目に)くっつけたけど、「盗掘したことに対する慰謝料」ではなかったんです。ぜひそこは誤解の無いように……。法律上解決できなことを、「なんでお前たちは和解で放棄したんだ?」と言われてもね(笑)。それはちょっとお門違いなんですよってことです。

そういうことはね、謝罪にしろ慰謝料にしろ、政治的に解決すべき問題なんです。僕も最近知ってビックリしたんですが……。(アジア・太平洋戦争後にソ連によって)シベリア抑留をされた人たちに対して、国が補償──というか見舞金というか──する法律(「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」平成22年)を作ったんです。シベリア抑留されていた人たち、生存者はもう数少ないですけどね、やっと日本国政府は補償した。それは東京大空襲(1945年3月)でも、(被害者に)そういう解決をしろって、いま(市民団体が)国に働きかけていますよね。

アメリカなんかでもそれはよくあることで。(太平洋戦争)戦時中、日系アメリカ人や日本人移民が強制収容所に連れて行かれて、財産を没収されたんですよね。ハワイ州は例外だったんですけど。それに対する謝罪と補償が、1988年に行なわれたんですよね(Civil Liberties Act of 1988)。ロナルド・ レーガン大統領が議会で正式に謝罪を表明しています。補償もちゃんとした。

そういう政治的解決……。法律上はそもそも(解決)できないんだから、政治的な解決にもっていかないといけない。本当であれば今後、私たちの力をつけて、ロビイイング──いろんな政党に働きかけたり、議員立法を出させたりとかね、そういう力を私たちはつけていかなければならないと思います。それが「謝罪と賠償」(をなぜ引き出せなかったのかという疑問)に対する、弁護士としての私の回答です。

さて、先住権の話です。先住権って、なかなか分かりにくいんですよね。先ほどチャールズ・ウィルキンソン教授の講演の文章を引用しました。まさにあれです。もともとアイヌの人たちが持っていた「集団の権利」──。ここでいう集団とは「アイヌ全般」のことではないんですよ。よく「アイヌ民族の権利を回復しろ」っていうけど、アイヌ民族全般でやっちゃうと、うやむやになっちゃう。なぜかというと……。

例えば(オホーツク沿岸の)紋別の畠山さんが、(太平洋沿岸の)浦幌に行ってサケを捕ったら、これは(日本政府による植民地支配がおよぶ以前の)江戸時代であっても、別のコタンから来た人間が浦幌コタンのサケを勝手に捕ったら、これはチャランケ、争いになる。紛争になるわけです。場合によってはコタン同士の戦争になる場合もあるんですよね。つまり、先住権という権限をもっていたのは、「アイヌ全般」ではなく、各地各地のコタンだったんです。

非常におもしろいのは、各コタンごとが(先住権を奪われる以前は)裁判までやっていたんです。民事・刑事法をちゃんと持っていました。有罪か無罪か判断したり。民事上の争いについてもチャランケをして決めていく。訴訟手続き法も持っていた。だれが決めるのか。長老会議で決めるのか、あるいはコタンの長が決定するのか、いろいろんなパターンはありますけど、各コタンごとで決めている。つまり各コタン・コタンがそれぞれひとつの国家だったんですよね。

その主権をもって、主権に裏づけられた土地の支配権。川の漁業権。海の漁業権。自然資源に対する権限。その中のひとつに墓地の管理権、遺骨の管理権もあったわけですよね。だから各地各地のコタンが権利の主体だし、(今後は)各地にそういうコタンの権限(=先住権)を認めていくことが必要になって。

そこで今回の遺骨管理権限。地域の集団=コタンの構成員の子孫の人が作っている集団であれば、コタンと同じように遺骨権利権限を認めることができるでしょ、ってことで、和解に至ったんです。

だからここを突破口に、例えば浦幌アイヌ協会が今度は十勝川のサケの捕獲権──もともとあったんだから。明治政府が勝手に漁猟を禁止にしただけだから。それを獲得・復活させていこう、と。それが土地(に対する権限の復活)にも結びつくし……。

じつは一番嫌がっているのは日本政府です。古いものにはフタをしよう、というのが日本政府だから。遺骨に関して言えば、「コタンあるいは受け皿となる集団は存在しない」って、はっきり明言しちゃうんですよ。

〈コタンや、それに代わって地域のアイヌの人々すべてを代表する組織など、返還の受け皿となり得る組織が整備されているとは言い難い〉(アイヌ政策推進会議・政策推進作業部会「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的な考え方について」(2013年6月14日)

「だから白老に集約する」って結論がくるんですよね。これ「だから」になってないんだけど。(笑)

私たちは「そんなことはない、コタンはある」と。で、「無いように見えるんであれば、明確に作りましょう」ということで、「コタンの会」とか紋別アイヌ協会、浦幌アイヌ協会が自らそういう認識に立って、立ち上がった。

(大学に遺骨を持ち去られた場所は)全道各地にまだいっぱいあります。そういうところが声を上げていく。それをバックアップしていく。そのなかで、土地問題も含めて、「先住民族の権利に関する国連宣言」に(明記されている先住権を)……国内法化はされていなくても実態として勝ち取っていけばいいだけのことなんですよね。

それを今後、遺骨(返還の実現)を契機に広げられたらなあと思っています。(拍手)

殿平善彦

ありがとうございました。

私たち北大開示文書研究会が北大に話をしに行ったり、要望書を出すでしょう? でも北大が一貫して言っていたことがあります。「北大は北海道アイヌ協会以外(からの申し入れ)は一切受け付けません。もしあなたたちに言いたいことがあるんだったら北海道アイヌ協会に行ってください」と。北海道アイヌ協会を通して北大に言ってきてください、それ以外は一切受け付けません、ていうのがね、北大の一貫した態度でした。でもこの裁判を通して、「コタンの会」がまさにアイヌの集団として、北大が交渉の対象として選択したわけですね。これは明らかに、日本政府や北大の今までのやり方を破っていく大きな力になる、そういう訴訟になったと感じています。

さて、3人に一通りお話しいただきましたが、この会場にはさまざまな方たちがお出かけいただいています。その中に、平取アイヌ協会副会長の木村二三夫さんがお出かけいただいています。木村さんは平取でこの問題を取りあげようと思って、いま懸命に頑張っていらっしゃるわけですが、木村さんから一言お話しいただきたい。よろしくお願いします。

木村二三夫・平取アイヌ協会副会長

みなさん、イランカラプテ。(拍手)きょう(11月25日)、平取町議会議員10人と懇談を持ちました。そのなかで「先人たちからのメッセージ」を読み上げたものを、ここでも読み上げたいと思います。

木村二三夫さん

みなさん、イランカラプテ。きょうは先人からの重いメッセージを携えてここに来ました。このたびは、さっそく私の願いを聞いていただき、この場を設けてくれたことをうれしく思います。そして遺骨返還問題に関心をもってくれたことに、心よりお礼と敬意を表するところでございます。

きょう私は、ひとりの人間として、アイヌ、そして町民として、貝澤(真澄・平取町議会アイヌ文化伝承委員会)委員長をはじめ、みなさまにアイヌ、先人たちの悲痛な思いを聞いていただきたいと思います。

新聞・テレビ等でご承知のように、多くの地区において返還運動、裁判での遺骨返還を実現できた地域も一部、出てきましたが、まだまだ何千体とあります。納骨堂という聞こえの良い牢屋に閉じ込められ、三十数余年。今度は白老へ移され、研究材料として辱めを受けるのではないかと、毎日びくびくしているであろう先人たち。トラック1台分の供物や、新しいコンクリートの施設よりも、わがふるさと平取の地へ早く帰りたいという切なる願い、叫びが、私の耳には毎日のように聞こえてきます。「一日も早く、安眠できる地、平取へ」と、先人たちは願っていると思います。みなさまの強力な後押しをもらい、返還に向けて、巨大な組織、国、大学に立ち向かっていきたいと思います。どうぞみなさまには、「人である人」として協力をお願いしたいと思います。イヤイライケレ。(拍手)

今日、町議会の人が一人、来ているんで、今後の展望をちょっとだけ話してもらいたいな、と思います。

井澤敏郎・平取町議会議員

みなさん、こんばんは。平取町町議会議員をしています、井澤と言います。平取町は行政としてはアイヌ施策推進課という課を持っています。その中にアイヌ文化保全対策室という、二風谷ダム建設によって、アイヌの祈りの場所などが失われたことなどがあったため、いま15年目に入りますがsアイヌ文化保存、調査活動をしております。アイヌ施策推進課には専任、嘱託を含めて7人の職員がいます。アイヌ文化保全対策室には専任学芸員が2人と11人の嘱託職員がいますので、合わせて20名の職員で行政の仕事を進めております。アイヌ保全対策室は毎年分厚い報告書を出しています。一部は平取町のインターネットで見ることもできますので、参考としていただければと思います。

井澤敏郎さん

それから議会には、私も委員の一人ですけれども、アイヌ文化伝承推進特別委員会が、5名の委員と議長も加わりますので6人で構成・運営されています。また町全体のアイヌ協議会としてアイヌ文化振興推進協議会がありまして、町長を会長として、町議会議長、副町長、教育長、それにアイヌ文化伝承推進特別委員会の5名、そしてアイヌ協会の会長・副会長5名、連合自治会長、商工会長、JA組合長、森林組合長という構成で、最大21名で協議会が進められて、行政につなげているという状況です。

それで、いま木村二三夫さんからお話がありましたが、町議会アイヌ文化伝承推進特別委員会が本日(2016年11月25日)午前に開かれました。木村さんから委員長に申し出があったので、委員会の中ではなく委員会終了後に、木村さんから北大アイヌ遺骨返還についてのお話をうかがう機会が設けられました。議員全員に案内しましたところ、平取町議会議員全12人中、10名が参加したかたちです。

その中で、木村さんが先ほどのメッセージを読みあげられ、いろんな意見、質問が出て、20分間くらいの時間がもてました。このことは町にとっても、また平取アイヌ協会にとっても、町議会にとっても大変評価すべきことだったと、ご報告したいと思います。ありがとうございました。(拍手)

殿平善彦

ありがとうございました。平取でも、まさに「遺骨を取り戻す」という、アイヌの方たちの活動が動き出しました。これが連鎖的に北海道の中で、遺骨の問題を契機にして、アイヌの方々の新たな運動が巻き起こっていくことを示唆してくださるようなご報告だったと思います。ともにその活動を、一緒に歩んでいきたいというふうに願っております。

この場内からもう一人二人、お話をいただきたいと思います。やはりこれからのアイヌの未来を担っていくのは若者であります。えっと、石原真衣ちゃんいるかな? ひとこと! いま彼女は北大に在籍していますけれども、再埋葬にも立ち会ってくださいました。真衣ちゃんの話をちょっと聞きましょう。

石原真衣

みなさん、こんばんは。(拍手)

突如名前を呼ばれて、びっくりして、とても緊張してしまうんですが……。私は先ほどの土橋さんと親戚でして、これまでアイヌの血というのを隠してきた者なんですね。今も、じゃあ自分がアイヌ民族なのかというと、そういう意識はないんです。それが「どうして?」ってということを、いま北大の大学院で勉強しているんですが。なぜ私はアイヌっていう意識がないのか。はたまた和人でもないのか。どうして私のような、社会からこぼれ落ちてしまう存在が生まれたのか、ということを知りたいと思って勉強しています。そのように思うようになったきっかけのひとつが、今回の浦河の杵臼で行なわれたイチャルパでした。

ちょっと話がまとまらないんですが、私のような存在は、世の中にはたくさんいると思います。数字で出すことはどうしてもできないんですけれども、社会からこぼれおちてしまう「見えない人間」「透明人間」てのがたくさんいると思うんですね。そういった人たちの悲しみと、今回、あちこち(の大学・博物館など)にあるアイヌの骨っていうのは、悲しみとか痛みっていうところですごくつながっているというふうに思っています。私も、アイヌの血を引いている者として、そういったものにどういうふうに関わるのか、これから時間をかけて少しずつ考えていきたいというふうに思っています。すみません、ちょっと緊張してしまって(笑)。ありがとうございました。(拍手)

殿平善彦

はい、どうもありがとうございました。

私は、個人的な話をちらっとすると、戦争中に朝鮮半島から強制連行されてきて犠牲になった人たちの遺骨の発掘を続けてきました。そして昨年秋、遺骨の奉還を、115体のお骨を韓国にお返しすることができました。死者としてのお骨を運んだんですけど、これは、お骨は、モノではありません。やっぱり犠牲になって、闇の中でまさに命を奪われていった人。お葬儀さえもちゃんとされずに終わった人の命を、私たちは運ばせていただきました。

そして、アイヌの遺骨も、まさに途中で、死者としての尊厳を奪われた人たちのお骨ですね。

このお骨を私たちは、和人としても深く反省の思いを込めて、そのお骨の尊厳を取り戻す。その努力は、アイヌの人たちとともに、私たちが私たち自身の責任においてこれからも続けていきたい。そして本当にお互いが、命尊びながら生きていくことのできる社会。そういうものを目指して、一緒に歩み出していく。そういう極めて大事な、現代史の、まさに歴史的な再埋葬、というふうに私たちが(この集会の名前として)使った思いが、ここにあると思います。そういう課題に向かって、これからもみなさんと一緒に歩み出していきたいと願っています。

パネルディスカッションはこれで終わりたいと思います。3人の方々に改めてみなさん、大きな拍手をお願いいたします。(拍手)

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