北大開示文書研究会のシンポジウム・出前講座

アイヌの遺骨はコタンの土へ 歴史的な再埋葬を語る集い

報告4 「アイヌネノアンアイヌ:研究者である前に“人間”でありましょう」

小田博志 北海道大学教授、人類学

小田博志さん

 本来であれば、この壇上からということになるかと思うんですが、いつもこういう、遺骨問題の場にいると、本当に恥ずかしい、情けないという思いで一杯になって、到底、上にあがる立場ではないというふうに思っていますので、ここ(ステージの下)でお話しさせていただきます。

 7月中旬に北大から遺骨が、第1回目として、浦河町杵臼に返還されたわけですけれども、その過程を身近で体験させていただいて……。しかし、これは本当に、いろんな足りないこともあるんですけれども、その分、北大が、あるいは北大の構成員である私たちが「学ぶチャンスなんだ」というふうに思っています。

 何を学ぶのかというと、「研究者である前に人間だ」ということを学ぶ。そういう機会を与えていただいているんだというふうに思っています。アイヌ語で「アイヌ ネノ アン アイヌ」という言葉がありますけども、これは「アイヌらしいアイヌ」という意味であり、アイヌというのは「人間」という意味です。だから「人間らしい人間」、それは和人にも共通して言えることだと思います。

 城野口ユリさんとか、小川隆吉エカシとか、清水さんが2012年、寒い冬のさなかに、北大に総長との面会を求めていらっしゃった時に、門前払いのような扱いをしてしまったということ。そして、その当事者の声にちゃんと耳を傾けることができなかったこと──。そういう機会を作ることに、私も(北海道大学の)構成員ですのでお力添えをすることができなかったということを、本当に恥ずかしく、申し訳なく思っています。

 そういう対応の中で、裁判という形になり、和解が成立したわけですけれども、やっぱり北大、そして北大だけの問題ではなくて、人類学者あるいは解剖学者がかつてアイヌの方々の墓を掘ってですね──城野口さんは「断りもなく」とおっしゃっていました──そういう形で持ち去って、研究材料にしたので、これは日本人類学会。そして児玉(作左衛門)教授が研究費を受け取った国の小委員会(日本学術振興会第8小委員会、1933~1938年)の代表であった永井潜(東京帝国大学医学部教授=生理学)という、日本に優生学という分野を導入した人がいますけれども、その永井教授が設立した学会である日本民族衛生学会、これは今でもあるんですけど、やっぱりこういう学会組織や、それ以外にアイヌ民族の遺骨を収集した東大、京大をはじめとする全国の大学も、やはり同様に反省をして、心からの謝罪をしなければいけないというふうに思っています。

 それとともに、今の研究者、いま生きている研究者として何ができるのかということを考える時に、かつて何が行なわれたのか、どんな背景があったのかということを、ちゃんと明らかにしてですね、それを当事者の方々、社会に向けて説明する、そういう責務があると思っています。その課題を現代の研究者として私はお引き受けして、進めていきたいというふうに考えています。

 最後の点として、この一連の動きの中で、「対話の場」を開くことがぜひとも必要だと感じています。当事者(祖先の遺骨が持ち去られ、その返還を願う人)の声が聴かれず、その肝心の当事者抜きのトップダウンの決定でものごとが進められる中で、いろいろな立場の人々が分断され、対立が深まっているように思えてなりません。しかし、この遺骨の問題が「対立と分断」ではなく、「対話とつながり」のチャンスとなればどれほどいいことでしょう。アイヌのみなさんにとっては「祖先とつながり直す機会」であり、研究者にとっては、「研究者である前に人間であるということを取り戻すチャンス」でもあり、多くの和人にとってもやはり「アイヌ民族のこうむった痛みを人間として知るきっかけ」になるでしょう。異なった立場の人たちが互いの声を語り合い、耳を傾け合う。それによって問題を解決する。これこそ「ウコチャランケ」です。そんな「対話の場」を作っていく──その第一歩は、まず当事者の声を大学の中でちゃんと誠実に聞いて、それに対して人間的に、誠実に対応していく、そういう場を作っていくことだと思います。

 私ができることは本当に限られているんですけれども、そういう動きを内部でささやかながら、しかし徐々に確実に作っていきたいと思っております。みなさん、見守っていただけると幸いです。ありがとうございました。(拍手)


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