大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

平田剛士 フリーランス記者

みなさん、こんにちは。きょうは発表の機会をいただき、どうもありがとうございます。北大開示文書研究会の会員で、フリーライターの平田剛士と申します。広島市出身の和人です。

いま作品を上映くださった藤野知明監督とは、2012年11月30日に開かれた札幌地裁での遺骨返還請求裁判の最初の口頭弁論の傍聴席で初めてお目にかかったと思います。原告の城野口ユリさんが、被告の北海道大学に対して厳しい意見を陳述され、それを聞いておられた藤野さんが「同じ北大出身者の一人としてとても恥ずかしい」と率直に語られたのを、当時自分の記事ですぐ紹介させてもらったのですが、私も藤野さんと同じ気持ちで、微力ながら報道活動を続けています。

すでに文書研のホームページをご覧いただいた方もおられるかと思いますが、文部科学省から開示を受けた資料に基づいて、全国各地の計12大学に留め置かれたままになっているアイヌ遺骨の情報地図づくりを進めています。まだ不完全なのですが、できるだけ早く各地のみなさまにご覧いただきたいと思い、この機会にご紹介させていただくことになりました。

お手元にお配りした文書研の新しい会報の3ページ目以降にリストをくっつけていますので、こちらも眺めながら、どうぞおつきあいいただければと思います。

さて、こちらは昨年5月23日に開催されました、内閣府「第9回アイヌ政策推進会議」で出席委員に配布された「資料4 大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の再調査結果」(文部科学省、平成29年4月)というペーパーに載っている一覧表です。文科省という役所が、各大学に記入用紙を配って調べた結果、各大学にこれだけの数のアイヌ遺骨が残っていることが分かった、という内容で、新聞各紙もこれらの数字を報道しました。

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

「1676体」とか「382箱」とか数字の大きさにびっくりするわけですが、それはともかくとして、お一人お一人のお骨がどこから、いつだれによって集められたか、という詳しい情報は公表されていませんでした。

それで遅ればせながら、今年5月に文科省に、各大学が記入して回答してきた調査票自体の開示を申請したところ、6月26日付けでA3用紙72枚分がオープンになりました。


文部科学省開示文書・文書番号30受文科振第298(2018年6月26日開示)「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票」(北海道大学、東北大学、東京大学、新潟大学、京都大学、大阪大学、札幌医科大学、大阪市立大学、南山大学、天理大学、岡山理科大学、東京医科歯科大学)


一部をお見せしていますが、お骨のお一人ずつについての情報が、あるていど詳しく載っています。

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

でもこの資料を、72枚の紙の束のままドンと目の前におかれても、なかなか読みづらいし探しづらいと思いましたので、まず発掘場所に注目しまして、どの町のどの場所から、いつ、何人くらいのお骨が、どの大学に持ち去られたのかを地図上に落とし込んでみました。

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

紙の地図にピンを刺していく要領で、パソコン画面上のデジタル地図にプレイスマークをつけたのが、こちらの地図です。1676人プラス382箱分、合わせて2000件あまりのデータを一人で入力したので、けっきょく情報開示から4カ月もかかってしまいました。

この作業中に感じたのは、アイヌの骨に対する当時の研究者たちの執着心です。たとえば、クリル諸島の東の端、カムチャツカ半島とほとんどくっついてみえるシュムシュ島やパラムシル島にまで、調査団を組んで掘りに行っています。この写真の説明文に見えるように、当時この島は「大日本帝国最北端」でした。(出典『児玉作左衛門先生生誕百年記念誌』北海道大学医学部解剖学第二講座、1997年発行)

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ


サハリン島でも同様で、チリエ(散江)、シスカ(敷香)、トマリキシ(泊岸)といった、当時のロシアとの国境線──北緯50度線──ギリギリまで、彼らは発掘に出掛けています。やったことは紛れもなく墓暴きですけれど、何か使命感のようなものを、彼らなりに持っていたのかもしれません。

ただしその使命感はやっぱり歪んだ使命感で、自分たちが掘り返したのが何という方のお骨なのか、という確認を彼らはほとんどしていなかったようです。「遺骨は単なるモノじゃありません」と、文書研共同代表で宗教家の殿平善彦さんはいつもおっしゃっていますが、とりわけ遺族や子孫にとって「だれのお骨なのか」は一番大事な情報です。ところが研究者たちはほとんど記録していません。死者へのリスペクトというんでしょうか、遺骨に対する敬意や尊重がまるで感じられません。

それは、集めた後の遺骨の管理のずさんさにもつながっていると思います。調査票の各欄を見ると、「だれがどこでどんな経緯で掘ったか、詳細は不明」「副葬品はほかのと混じってしまった」などと、情報の欠落が非常に多いんです。お手元のリストに「不明」「不明」「不明」と連発してあるのは、そういう理由です。

さて、こうして情報地図が形になりましたので、改めて自治体別に数え直してみると、最大の被害地は八雲町、次いで新ひだか町、サハリン島(島全体でカウント)、森町、千歳市、浦幌町……といった順番になります。

大学留置アイヌ遺骨発掘地マップ

このうち、浦幌町から掘り出された分の大半は、去年と今年、浦幌アイヌ協会さんが、裁判の和解条項に基づいて、北海道大学から返還を受けられました。また紋別アイヌ協会さん、浦河町杵臼のコタンの会さん、さらに旭川アイヌ協議会さんが、同様に裁判和解を経て北海道大学から遺骨返還を受けられました。でも、それ以外の遺骨はまだ各大学に留め置かれたままです。

私は、会場にお越しのみなさまに、この地図を、ぜひご自分に引きつけてご覧いただけたらと願っています。たとえばここ札幌市内からは、計13体の遺骨が掘り出されています。もしかして、近所にお住まいの方はおられないでしょうか。あるいは、ご実家とか、ご縁をお持ちの町などが被害を受けていないでしょうか。もし受けていたら、それらのお骨がまだ大学に置きっぱなしだということを、どういうふうにお感じでしょうか。


札幌市 13人


一昨年のちょうどいま時分、浦河町杵臼コタンへの遺骨帰還の意義を語る会が、コタンの会さんと文書研の共催で、北海道クリスチャンセンターで開かれました。集会の最後に「杵臼からのメッセージ」と題して、殿平さんがこの文章を読み上げられました。これを再読して、私の発表を締めくくりたいと思います。

アイヌの遺骨はコタンの土へ 杵臼からのメッセージ
2016年11月25日 「歴史的な再埋葬を語る集い」参加者一同

(1)政府は、「象徴空間」への遺骨集約を中止し、収集遺骨を早急に元のコタンに返還する手立てを講じましょう。「杵臼」をモデルに各地アイヌ集団(コタン)への遺骨・副葬品完全返還のプログラムを確立しましょう。近代以後のアイヌ政策を反省し、アイヌに謝罪し、コタン復興を支援しましょう。

(2)アイヌ遺骨を収蔵する大学、研究機関、博物館などは、遺骨収蔵の経緯を検証し、その結果を公表し、自らの責任を認めて、アイヌへの加害を謝罪しましょう。コタンへの遺骨の返還に誠実に取り組みましょう。

(3)墓地発掘・遺骨持ち去りを受けた各地のアイヌ協会は、返還遺骨の受け入れとイチャルパ/シンヌラッパ(祖先の追悼)に向けた活動に取り組みましょう。また各自治体は地元の被害について調査・公表し、遺骨受け入れ活動を支援しましょう。

(4)市民は、アイヌに対する植民地支配・同化政策について学び合い、地元への遺骨返還を支援しましょう。

どうもありがとうございました。


アイヌ先住権をめぐる連続出前講座2018での話題提供、スピーチ予稿