北大開示文書研究会について

北大開示文書研究会

2008年3月から9月にかけて、小川隆吉氏が北海道大学から開示を受けた「北海道大学医学部、児玉作左衛門収集のアイヌ人骨の台帳とそれに関連する文書」など多数の資料を精査し、当時「研究」の名目で道内外でおこなわれたアイヌ墳墓「発掘」の真実を明らかにすることを目的に、2008年8月5日、発足しました。工芸家、団体職員、教員、僧侶、牧師、会社員、弁護士、ジャーナリストらで構成されています。


「アイヌ人骨台帳」再発見のきっかけ 小川隆吉

小川隆吉小川隆吉小川隆吉

直筆原稿の高解像度PDF

(2008年1月10日、)私の携帯(電話)に北大医学部の4年生から電話が入りました。「小川さんが探していた文書(「アイヌ人骨台帳」)が(北大医学部図書館で)見つかりましたよ」とのこと。私は驚き、「まさか、本当か?」と聞きました。(するとその学生は)「僕は嘘を言わない」(と答えました)。 次の日、(北海道大学の)副学長と会う。(北海道大学医学部が収集したアイヌ人骨の台帳が見つかった、という情報の確認を求めると、副学長は)「ありました」と認めました。

(しかし)「あのままでは出せない」という。小川(が)「〝あのまま〟とは何のことか」と聞く。副学長(は)「アイヌ民族に対する差別(的な)記述がある」と述べた。「もう少し待って下さい。必ず出します」と(も述べた)。

私も「(これは)大変なことになる。一人では(情報の分析作業を)やっていけない」と気づく。(そこで、NGO「アイヌ民族情報センター」を主宰する)三浦(忠雄さん)に知らせる。(これが)「北大開示文書研究会」と(いう名称の新グループの設立につながった)。

(いま私は)『八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨 杵臼コタンへ』(藤野知明監督作品、2017年)のDVD(を活用して)、(事件について)ともに学ぶようにしたいのです。(北海道大学に対して、)そう言いたい。北大医学部の学生、いまを生きる北大生の誇りとして(この事実を後世に)伝えていく。北大に縁のある人とともに。

2020年7月21日 小川海一郎と小川隆吉・85歳

(編者注)原文を適宜補いました。「小川海一郎」は、小川隆吉エカシの叔父。死去後、埋葬されていた地元・浦河町杵臼コタンの墓地から、1930年代に北海道大学医学部によって遺骨が発掘・持ち去りを受けました。小川隆吉エカシらを原告とするアイヌ遺骨返還訴訟の和解を経て、2016年7月、ほかの遺骨とともに海一郎氏の遺骨もおよそ85年ぶりに故郷に帰還し、再埋葬されました。


「アイヌ墓地発掘問題」とは?

北海道大学キャンパスの駐車場の一隅に、「アイヌ納骨堂」という小さな建物があります。

アイヌ納骨堂

北海道大学医学部駐車場の一隅に建つ「アイヌ納骨堂」。2010年8月撮影。

ふだんはシャッターが下りて、入れません。じつは中には、約1000人分もの遺骨が、それぞれ小さな箱に収められて、スチールの棚にずらっと並んでいます。すべてアイヌ民族の古いお骨です。

アイヌは北海道の先住民族です。なぜ、先住民族のお骨がこんなにもたくさん、大学の構内なんかに集められているのでしょう?

この「アイヌ納骨堂」が建ったのは、今から27年前、1984年7月です。膨大な数のお骨は、それまで長年、同じ北海道大学の医学部の実験室などでほったらかしにされていました。

遺族にとって、お骨は単なるモノではありません。それが見ず知らずの場所で、おまけに自分たちとは異なる多数派民族によって、ぞんざいに扱われていたら、どうでしょう?

今から30年前、事実を知ったひとりの遺族が、北海道大学を告発しました。思いは社会の共感を集め、「アイヌ納骨堂」の建設と、遺骨の合同供養が行なわれたのです。北海道アイヌ協会に手によるイチャルパ(アイヌ語で「慰霊祭」の意味)は、現在も毎年8月にしめやかに開かれています。

でも、そもそもなぜ大学の実験室に、こんなにも大勢の先住民族の遺骨が集められていたのでしょう?

だれがいつ、どんなふうにして集めたのでしょう?

一冊の本をひもといてみましょう。

植木哲也著『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(春秋社、2008年刊)という本です。

この本が描いているのは、19世紀後半から20世紀前半にかけて「活躍」した、高名な人類学者たちのふるまいについてです。

東京帝国大学の小金井良精(こがねい・よしきよ)という教授は、「帝国大学の命により人類学研究のため」北海道を旅行して回り、「各地で精力的にアイヌの人骨、特に頭骨を集め」ました。墓地の「発掘」にも手を染めています。

京都帝国大学の清野謙次(きよの・けんじ)という教授は、当時日本領だった樺太(現在のロシア・サハリン)に渡り、やはりアイヌ墓地を「発掘」して頭骨を集めました。

北海道帝国大学の児玉作左衛門(こだま・さくざえもん)という教授は、北海道の各地で、さらに大がかりに墓地を「発掘」し、アイヌ民族の骨と、お墓に納められていた副葬品(宝物)を集めました。

まるで墓荒らしです。でも、これらはすべて、学問研究のため、というお題目で正当化されました。

明治時代から昭和時代初期にかけて、こんなふうに集められたたくさんの先住民族のお骨が、遺族に返されることなく、ずっと大学に放置されてきたのです。

1984年、北海道大学には「アイヌ納骨堂」が建ち、お骨が移されました。でも、先住民族に対するこれほどの仕打ちについて、「収集」当時のいきさつを詳しく検証したり、責任の所在を明らかにしたり、といったことは、なされていません。

小川隆吉さん

小川隆吉さん。「アイヌ納骨堂」で。

アイヌ民族の復権運動に取り組んでいる小川隆吉さんは2008年、当時の関係書類をすべて公開するよう、北海道大学に求めました。

それによって初めて開示された「アイヌ民族人体骨発掘台帳(写)」などの多数の資料を突き合わせて調べてみると、お骨の人数や副葬品の数、現在の保管状況などに、たくさんの食い違いがあることがわかりました。

高名な学者たちによって「墓荒らし」同然に掘り出された先住民族の遺骨たちや副葬品が、いまだにぞんざいな扱いを受け続けている、ということです。

(北大開示文書研究会、2010年12月)