裁判の記録

第9回口頭弁論で、原告代理人・木場知則弁護士の弁論

2022年9月1日、札幌地方裁判所

原告準備書面(6)(7)の要約

Raporo Ainu Nation今回、原告が提出した準備書面の内容を要約して説明します。

第1に、裁判所は、国際的な人権意識や人権法の解釈について、国際的な水準に到達していなければなりません。

この点、日本では、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」との憲法98条2項により、批准・加入した条約は、公布をもって、それ以上の特段の国内的措置なくそのまま国内で法としての効力を持ちます。そして、このように条約が国内的効力を有する日本では、条約規範は国家機関たる裁判所にとっても有効な法規範となり、権利救済に関する条約の規定に従い、条約上の権利の侵害に対する効果的な救済を与えることが要求されるし、人権条約の規定違反の主張が争点とされている場合にはこれを精査し、違反がある場合には適切な救済手段を確保する責務があります。
 
また、国内法秩序における条約の序列は、この憲法98条2項によって、少なくとも法律に優位することから、裁判で、ある法律が条約の規定に反すると裁判所が判断した場合には、条約が優先し、その法律の適用は退けられることになります。

このように、日本の裁判所は人権条約規範を遵守すべき、あるいは国をして遵守させるべきところ、にもかかわらず、「別に国内法の整備を要する」などとして条約基準に満たない国の現状を追認するという、国際的な水準を充たさない判決が下されることが多いことが問題です。

この点、慶應義塾大学の山元一(やまもとはじめ)教授が2012年5月の論稿で、日本国のすべての統治機構は、憲法が与えた権能の範囲内で、国家が負った国際法上の義務に積極的に応答する義務を負っており、「裁判官もその一人ひとりが国際社会に自らの身を晒すグローバル世界に立つ存在である」こと、従って例えば、自らの扱う事件において国際人権法の示唆するところと矛盾する判断を下そうとする場合には、「国際社会に向けて説得力のある説明が行われなければならない(判決文が日本語で書かれるからといって、決して裁判官はその読み手を日本語使用者だけだ、と想定してはならない)」と述べていることは、傾聴に値します。

第2 慣習法

通則法3条について 

慣習法を根拠とする原告の主張に対し、被告らは、原告は「漁業法、水産資源保護法、本件調整規則等によって禁止され又は刑罰の対象とされることはないということが慣習法として成立していると主張するものと解される」と勝手に解釈していますが、これは、被告らは水産資源保護法等の「規制法令」を先に考えており、その例外にあたる慣習法があるか、という順序で認識しているからだと思われます。しかし原告は、そんな慣習だとは主張しておらず、これは曲解です。
 
原告は、順序としては慣習あるいはサケ捕獲権・先住権という権利が先に歴史的に存在していると主張しているのであり、その法的根拠として「法の適用に関する通則法」3条の要件の1つである、「当該慣習が……法令に規定されていない事項に関するものであること」を満たすことを論証する中で、規制法令はもとから原告のサケ捕獲を規制対象としていない、あるいは原告に適用する限りで規制法令は違法無効であるから、「法令に規定されていない事項」になる、よってこの要件を満たす、というレベルで主張したものです。

被告らは、あえて原告の主張を曲解した上で反論をしており、噛み合わない反論をしていることを指摘しています。

また、被告らは、原告があげている先住民族宣言などの国際規範は、どれも慣習の内容を根拠づけるものとなり得ない、と主張しました。 

しかし、これもまた曲解であり、原告は慣習法に関してはこの国際規範が慣習の「根拠」だとは述べていません。あくまで通則法3条が根拠として主張しており、その要件の検討の中で、国際規範の条項や趣旨に反する国内法の解釈は認められないこと、国際法に則って解釈すれば規制法令が原告のサケ捕獲権を対象としていない、あるいは原告に適用する限りでは無効だと解釈するほかないこと、国はこれら国際規範を自ら締約したり賛成票を投じているのだから、これらを尊重し、少なくとも反することをしてはならないし、国内法の解釈にあたっても反しないように行うことが求められている、と主張したものであることを、あらためて説明しています。 

第3 国際法

被告らは、原告が本件サケ捕獲権の根拠として挙げた各条約について、いずれも「規制法令による規制が及ばないサケ捕獲権」を保障することを締約国に義務付けたものではない、との主張をしています。

しかし、条約解釈の指針とされている「条約法に関するウイーン条約」では、「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」ことが明記され、また、他の条約にも同趣旨の条項があります。

また、条約そのものだけでなく、例えば自由権規約委員会の「一般的意見」というものについても、自由権規約の有権的解釈や「解釈の補足的な手段」となります。

また、「先住民族宣言」のような「宣言」であっても解釈指針になること、さらには未批准の条約であっても考慮対象となることを示唆する国内判例もあります。
 
以上のことを、最高裁を含む複数の国内判例を挙げて指摘しました。

第4 国際慣習法 

国際慣習法についても、集団的権利という点や、一般慣行・法的確信という点が認められることを、ラッコ・オットセイ保護条約や、インディアンやアリュートという世界の先住民族との対比も含めて、あらためて主張しました。

第5 憲法 

まず法の下の平等を定める憲法14条1項について、被告らが、規制法令はアイヌ民族であるか否かに関係なく規制をしているから形式的な不平等はないと主張したことに対して、憲法は形式的平等だけでなく実質的平等をも保障しており、実質的に不平等の結果をもたらす場合を許していないことを、国内判例や人種差別撤廃条約との関係で指摘し、本件で規制法令が原告にも適用されるとすれば憲法14条1項に違反することを指摘しました。

次に信教の自由である憲法20条1項と、経済的自由である憲法29条について、被告らは、「憲法の各規定によってサケ捕獲行為が権利として保障される余地があるとしても、絶対無制約のものではなく、公共の福祉による制約を受けるし、規制法令による規制が及ぶものであることも踏まえると、憲法の規定によって、規制の及ばないサケ捕獲権が直ちに保障されるものではない。」と主張するところ、そもそもこの被告らの主張は、水産資源保護法という法律が憲法に優位する、というまったく根拠のない独自の主張となります。 

「公共の福祉による制約」の点については、自由権規約委員会が日本に対して、日本の「公共の福祉」の概念は曖昧、無限定で、規約の下で許される範囲を超える制限を許容しうる。」と複数回懸念を示したことに対し、日本政府は、「規約による人権制限事由の内容は憲法上の「公共の福祉」による人権制限の内容と実質的に同じであって、「『公共の福祉』の概念の下、国家権力により恣意的に人権が制限されることはあり得ない」との立場を表明していますが、規約にない事由をもって「公共の福祉」を理由とする制約を課すというのなら、規約委員会に対するかつての政府の回答と矛盾することをこの裁判で主張していることになることを、指摘しています。
 
最後に憲法13条について、個別の人権規定にない権利であっても、時代や社会情勢の変化に応じて新たに認められるべき権利の根拠規定となってきたのが13条ですが、新たに認められるべき権利だけでなく、憲法以前からあるものの明文化されていないものや、さらには憲法以前からある権利が、時代や社会情勢の変化に応じて、あらためて権利として再認識されるべき場合にも、当然認めるものとして憲法は懐の深さを持つものといえ、アイヌ民族のサケ捕獲権は、まさにこの、憲法以前からある権利であると同時に、先住民族を侵略しその権利をはく奪した時代から文明が先に進み、その侵略を反省して、先住民族宣言や人種差別撤廃条約その他の先住民族に関する条約が制定され各国に批准されてきたという時代や社会情勢の変化を受けて、あらためてその権利性が国際的に認められ保護の対象として再認識されている権利であることを踏まえて、指摘しました。

第6 条理

被告らは、規制法令は強行法規であるから、規制法令に抵触する内容の条理を考える余地はない、と主張しました。 

しかし、条理は、現行法制度によっては「正義にかなう普遍的原理」を体現できない場合の受け皿として、これまでの裁判例でも度々取り上げられています。仮に、原告が主張する国際法、国際慣習法、憲法、および慣習法(通則法)上の権利が、いずれも単体としては認められないとされた場合であっても、これらを総合した結果、条理が根拠となって原告のサケ捕獲権は認められるべきです。明治8年の太政官布告にも、「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ拠リ、習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」とありますし、行政法に関する条理による法解釈の重要性について、「法の目的、法の成立時期、他の法との調和、現実の社会的要請などを考慮し、柔軟かつ臨機応変な態度で臨み、できるだけ現代の要請にかなった結論を求めることが肝要である。条理ないし正義感覚が、とりわけ重要な意味をもつといわなければならない。」とする学説もあります。

本件において、被告らは頑なに原告主張の事実関係への認否を避けていますが、これは事実関係について争うことを明らかにしないものとして、事実関係を認める自白をしたものと民事訴訟法上みなされます。そうすると、明治政府が先住民族であるアイヌの集団が有したサケ捕獲権を正当性なく奪ったという事実関係を前提に、奪った側が法律を作っていないことをもって、奪われたサケ捕獲権が認められないのであれば、これ以上の不正義、不合理、理不尽はないといっても過言ではなく、まさに本件のような権利の救済のために、条理を根拠として原告の請求が認容されなければならない、ということを指摘しました。 

このほか、規制法令と関わりのあるサケのふ化放流事業には合理性が認められないことや、原告のサケ捕獲権を認めてもサケの資源保護には影響がないことも指摘しました。

以上


原告準備書面(6)全文