裁判の記録

ラポロアイヌネイションのサケ捕獲権確認請求訴訟
第5回口頭弁論後の原告団弁護団記者会見から

2021年9月16日、北海道高等学校教職員センター

市川守弘・原告弁護団長(写真右)
きょうは傍聴しているだけだと分かりにくかったかも知れません。原告から裁判所に、「アイヌのサケ捕獲権は慣習法に基づいている」という書面を出しました。

原告準備書面(3)(PDF、776kb)

(アイヌの)どういう集団がどこでどういう漁ができる/できない、という問題は、江戸時代から、すべて慣習によって決まっていたんですよね。もしコタン内で(漁期・漁場・数量などをめぐって)争いがあれば、コタン内でのチャランケによって解決する、という解決制度、一種の裁判制度まであったし、コタン間の争いに対しても、コタン間のチャランケによって解決するっていう、争い解決、紛争解決制度があったんです。それが、シャクシャインの蜂起(1669年6月)を契機として、「コタン同士の漁猟権をめぐる争いについては、松前藩が調停して解決策を出す」という制度に変わりました。だけど、松前藩が何に拠って解決していくのかっていったら、それは「アイヌの慣習に従って裁定していく」、そういう制度に変わったんです。(その史実解説が)高倉新一郎の論文(高倉「アイヌの漁猟権について」、『社会経済史学』第6巻6・7号、1936)にけっこうまとまっていたので、それを証拠にして今回、主張しました。

この準備書面を準備していて、悩んだことが2点ありました。ひとつは、「慣習」というためには、ずーっと反復・継続して行なわれていなければ、「その慣習は、もう途絶えているよね」「そういう慣習はいまはもうないよね」という話になることです。明治以降、現在に至る経過の中で、その慣習はもう途絶えてしまったのか? という論点が出てくる。その点に関しては、アイヌの人たちが自分の意志で(慣習に従うことを)やめたわけじゃない。(進出してきた日本国家によって)刑罰をもって、強制的にやめさせられている、と。「やめた」ではなくて、「できない状況を和人政府側によってつくられて、その結果(サケを)捕れない状況が続いているだけのこと」だ、と。サケを捕ることをやめるよう、刑罰をもって強制されなければ、意志があれば、サケ漁はできるわけですよね。アイヌ自身がやめたわけではないから、(刑罰をもってサケ捕獲を止めるよう強制する法律が)解除されれば、いつでも(慣習法に基づくサケ漁が)できるんだ、という意味では、反復・継続性は潜在的に(江戸時代から現在まで)つながっているでしょ、という主張をしました。

もうひとつ、慣習法として認められるためには、「法令の定めがないこと」が要件になっています。つまり、何らかの法令の形で定まっていれば、それに関する慣習は、もはや慣習とは認められませんよ、ってことなんですよね。そこで問題になるのが、現行の水産資源保護法とか漁業法によってサケ捕獲が禁止されている、ということです。これについても、こちらは大上段で問題にしました。なぜかというと、先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP、2007年)では、(先住民族の)資源(利用管理)に対して(国家政府は規制を)強制できない、強制は同化政策そのものであるからやってはいけない、と明確に書かれているからです。


先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP、2007年)
第8条【同化を強制されない権利】
1.先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する。
2.国家は以下の行為について防止し、是正するための効果的な措置をとる:
(a)独自の民族としての自らの一体性、その文化的価値観あるいは民族的アイデンティティ(帰属意識)を剥奪する目的または効果をもつあらゆる行為。
(b)彼/女らからその土地、領域または資源を収奪する目的または効果をもつあらゆる行為。
(c)彼/女らの権利を侵害したり損なう目的または効果をもつあらゆる形態の強制的な住民移転。
(d)あらゆる形態の強制的な同化または統合。
(e)彼/女らに対する人種的または民族的差別を助長または扇動する意図をもつあらゆる形態のプロパガンダ(デマ、うそ、偽りのニュースを含む広報宣伝)。(市民外交センター訳)


(被告が)もし法令を根拠に(「原告にはサケ捕獲権がない」と)言ってくるんであれば、(それは)同化政策そのものでしょう。それは「先住民族の権利に関する国連宣言」で禁止されていますよ、ということです。

もうひとつありました。3つ目として、いま言った国連宣言に、そんな(「強制は同化政策そのものであるからやってはいけない」と国家政府に命じる)強制力がありますか、という問題です。


「被告ら第1準備書面(令和2年12月11日)」
……先住民族宣言そのものには法的拘束力がなく、さらに、同宣言に基づいて原告が主張する「集団的権利」の概念についても、国際慣習法上、確立した権利として認められていないことから、国際法上、我が国として原告が主張する「集団的権利」を認める義務は存在せず、国際法上、本件漁業権の根拠となり得るものは存在しない。


それは国連宣言だけではなくて、人権規約とか、さまざまな国際法で「権利があります」とか「日本政府は※※※しなくてはいけません」と規定されているものが、一体どこまで拘束力を持っているのか、っていう問題です。マスコミのみなさんは国側の準備書面も見ていると思いますが、(被告は)「国連宣言に法的拘束力はない」って言っているんですよね。でもそもそも、「法的拘束力がない」って、どういう意味なのか不明なんですよね。

「国連の▲▲宣言の第■条に基づいて、私には××する権利があるんだ」と直接的に主張する場合もあるでしょう。国際法っていうのは、(政府が)批准して国会で承認されると、国内法的な効力を持つんです。憲法98条でそういう定めになっています。


日本国憲法
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


それじゃあ、いっぽうで先住民族の権利とか文化享有権を認めるっていう国際法に署名して——国内法的効力を持っているわけですよね——、それに反する国内法があった時、どうするんですか、っていうことなんです。国際法=条約は、国内法の上位に位置するので、国際法に反するような国内の法律は効力がないはずなんですよね。そのへんを含めて、こちらは解説しておきました。生物多様性条約(日本政府は1992年署名)とか国際人権規約(日本政府は1979年批准)とか先住民族の権利宣言とかがあるんですけれども、それらのなかで、先住民族の権利として「土地や自然資源に関する権利」が認められ、締約国はそれを尊重し、認め……、生物多様性条約なんかは、たとえばサケに即して言えば、分配の権利まで認めています。


先住民族の権利に関する国際連合宣言
第26条【土地や領域、資源に対する権利】
1.先住民族は、自らが伝統的に所有し、占有し、またはその他の方法で使用し、もしくは取得してきた土地や領域、資源に対する権利を有する。
2.先住民族は、自らが、伝統的な所有権もしくはその他の伝統的な占有または使用により所有し、あるいはその他の方法で取得した土地や領域、資源を所有し、使用し、開発し、管理する権利を有する。
3.国家は、これらの土地と領域、資源に対する法的承認および保護を与える。そのような承認は、関係する先住民族の慣習、伝統、および土地保有制度を十分に尊重してなされる。(市民外交センター訳)

生物多様性条約(CBD)
前文
……伝統的な生活様式を有する多くの原住民の社会及び地域社会が生物資源に緊密にかつ伝統的に依存していること並びに生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用に関して伝統的な知識、工夫及び慣行の利用がもたらす利益を衡平に配分することが望ましいことを認識し、 ……
第8条 生息域内保全
 (j) 自国の国内法令に従い、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関連する伝統的な生活様式を有する原住民の社会及び地域社会の知識、工夫及び慣行を尊重し、保存し及び維持すること、そのような知識、工夫及び慣行を有する者の承認及び参加を得てそれらの一層広い適用を促進すること並びにそれらの利用がもたらす利益の衡平な配分を奨励すること。


そういう国際法に反する国内法は効力がないでしょう、ということを主張しました。(現行の水産資源保護法や漁業法の)条文に「アイヌ」と書いてないんだから、これは(アイヌは和人に同化したとみなしたうえで)和人にしか適用がなくて、アイヌに関してはまったくの白紙だから、(これら法律によってアイヌのサケ漁を)規制することは出来ませんよ、という主張を(原告は)したんですね。まさに「法令に規定されていない事項」であり、慣習法の要件をクリアしている、ということで、「慣習法上の権利」を主張しました。

次回は、国際法を直接適用できるのかどうかという問題と、憲法上どうなのかという問題と、最後の「条理」——常識・正義、そういう言葉でも置き換えることができますが、条理上はどうなんですか、という3つの点について、11月までにまとめる予定です。被告が何て言ってくるか分かりませんが、(法廷での裁判長と被告代理人との)最後のやりとりを聞くと、何か反論をする予定みたいなので、やっと何か言ってくるのかな? くらいのことは思ったのですが、まだ分かりません。


差間正樹ラポロアイヌネイション会長(写真左)
私たちは十勝川の左岸河口部で生活していたアイヌの子孫であります。私たちはもともと、十勝川河口一帯において、イウォロ——いろいろな山・海・川に権利を持って生活していました。その権利のまずいっとう最初にサケですね。シャケは神から使わされた魚、私たちにとっては一番大事な部分です。そのシャケを捕る先住権があるのだということで、いま裁判に訴えております。弁護士の先生たちには本当にお世話になって、また北大開示文書研究会とか、私たちのためにがんばってくれている方がたくさんおられます。そういう人たちの声に答えるためにも、私たちもがんばってまいりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。


フロア(北海道新聞)
先住権の根拠として原告が挙げてきた4つのうち、今回は慣習法としての権利を主張されました。次回以降に主張される予定という条約・憲法・条理について、どんな主張をしていきますか。

市川守弘弁護士
条約については、直接適用の可能性の問題を論じるつもりです。二風谷ダム裁判の判決(1997年)では「アイヌ民族には文化享有権がある」とまでは言っているんですが、(国際法が)直接適用されるかどうかについてはクエスチョンなんですよ。あれはあくまで行政執行法20条3項の解釈基準として出てきているんで。それから憲法については、これも二風谷判決が憲法13条について言っているんですが、そこはどうなのかという問題があります。


二風谷ダム裁判・札幌地裁判決(1997年3月27日)
判決理由の骨子 2
国は、先住少数民族であるアイヌ民族独自の文化に最大限の配慮をなさなければならないのに、二風谷ダム建設により得られる洪水調整等の公共の利益がこれによって失われるアイヌ民族の文化享有権などの価値に優越するかどうかを判断するために必要な調査等を怠り、本来最も重視すべき諸価値を不当に軽視ないし無視して、本件事業認定をなしたのであるから、右認定処分は違法であり、その違法は本件収用裁決に承継される。

第3 争点に対する判断
……B規約は、少数民族に属する者に対しその民族固有の文化を享有する権利を保護するとともに、締約国に対し、少数民族の文化等に影響を及ぼすおそれのある国の政策の決定及び遂行に当たっては、これに十分な配慮を施す責務を各締約国に課したものと解するのが相当である。そして、アイヌ民族は、文化の独自性を保持した少数民族としてその文化を享有する権利をB規約27条で保障されているのであって、我が国は憲法98条2項の規定に照らしてこれを誠実に遵守する義務があるというべきである。
もっとも、B規約27条に基づく権利といえども、無制限ではなく、憲法12条、13条の公共の福祉による制限を受けることは被告ら主張のとおりであるが、前述したB規約27条制定の趣旨に照らせば、その制限は必要最小限に留められなければならないものである。

B規約(国際人権規約・自由権規約、日本政府は1979年批准)
第27条
種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。


ただ、二風谷判決当時の国際法理解はあくまで「個人の権利」が前提だったのね。(B規約の)条文上、「……少数民族に属する者は……」っていう書き方で、個人を相手にしている。だけどその後、国連人権委員会では「先住民族の場合は、集団としての権利行使が認められなければならない」というふうに、「一般的意見」がちょっと変わってきたんですよね。そのへんも敷衍しながら、(国際法の)直接適用の可能性があるのかないのかについて、論じていきたい。

それから憲法について。たとえば北海道大学の落合先生(落合研一・北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授、先住民法学・憲法学)なんかは、憲法13条が保障しているのはあくまで個人の権利だ、と言っているんですね。だけど、憲法上「個人の権利」しか認められていないかっていうと、決してそうではなくて、たとえば企業による政治献金の自由は、企業(集団)に認められています。集団の権利を憲法は否定していないでしょ。っていうところから少し敷衍して、二風谷判決をさらに一歩進められるような主張を展開したいと思っています。

条理は、さっき「正義」と言いましたが、何が正義か、定義はない、基準もないんだけど、これまでの歴史とかを重ねてみれば、「原告にサケ捕獲権を認めないのは不正義でしょう」「だったら認めるべきだ」ということは言えるので、それを条理の形で主張していきたいと思っています。細かい内容はこれから詰めていきます。


フロア(北海道新聞)
今回の準備書面では「条約」と「宣言」の違いは大きな違いじゃない、と主張されていますが、「宣言 declaration」に法的拘束力を持たせたものが「条約  treaty/convention」であって、たとえば世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)が国際人権規約(International Covenants on Human Rights)に変わって法的拘束力が生まれた、といった解釈や、そう解説する文献もあります。

市川守弘弁護士
国家間の合意には、条約もあれば、協定(agreement)もあります。宣言はどうかというと、たとえば人権宣言を考えてみると、(法的拘束力がないから)まったく意味がないよ、とは言わないわけです。国家同士が合意して署名し、国会で承認すると、それが国内法的な効力を持つ。宣言・協定・条約といったって、中身が問題なんです。宣言一般がどうなの、っていう話じゃない。そうしないと、世界人権宣言(1948年)、それがまさに重要な、日本で言えば憲法と同等くらいの重要性をもった国際的合意なわけでしょ。だから問題は中身なんです。先住民族の権利に関する国連宣言をみると、「※※の権利を有する」とか、「国は※※しなければならない」とかね、具体的に権利性が規定されている。次に、こういう合意が国家間で合意された場合、どうなるのか、という問題になる。ふつうは国際間の条約を結ぶ際には、「国内担保されている」という前提に立ちます。(条約の規定が)国内法によってすでに具体的に規定されている、と。特に環境関係に例が多いんだけれども、生物多様性条約でもラムサール条約でも、国際間の条約を結ぶ時には、国内法を改正していくわけ。(国内法を)国際条約に反しない状態にして、初めて条約締約国になるわけです。これは条約だけではなく、その後のCOP(Conference of the Parties 条約締約国会議)で決まることにも、国内法は影響を受けます。国際法ではこれを「国内担保されている」と言うんだよね。それは置いておくとしても、国内法に対して、国際間合意は上位に立つ。そうすると、(国際間合意であるUNDRIPに)「ねばならない」——(国家は先住民族に)サケ捕獲権を「保障しなければならない」と書いてあるのに、それを禁止する国内法は、明らかに(上位の国際間合意に)反するわけでしょう? だとしたら、この国内法(水産資源保護法など)は効力を持っていないね、という解釈しかない。(国連宣言に)法的拘束力がないウンヌン(という被告の主張)は意味が分からないわけ。単に「※※権があるから訴えを起こせる」という、裁判所がそれを適用できるような権利性の問題なのか、それとも、国内法の秩序のなかにおいて、国内法を矛盾なく国際的合意に合わせるようにどう解釈するかっていう問題と、つねに二面性がある。そうしないと担保の意味がなくなっちゃう。条約か宣言かの区別より、まず内容だ、と。その内容が具体的に国内法とどういう関係を結ぶか、その時、どう解釈するのかという問題なんですよね。

フロア(北海道新聞)
ありがとうございます。なかなか難解な……。

市川守弘弁護士
いままで国際法は、(日本の)裁判でもちゃんと争われてこなくて。国内法的効力はあるけれど裁判規範性はない、とか、国内法的効力はないけれど裁判規範性はある、とか言われてね。その区別ができていない。司法試験でも、国際法はあまり重要視されていないからね……。

フロア(北海道新聞)
たとえば最近の生活保護費引き下げ訴訟では社会権規約(A規約)の扱いが問題になりましたが、その裁判規範性については否定的な判決をよく見るなあという印象です。条約や国連宣言を使って権利を導いた判決、判例はありますか?

市川守弘弁護士
刑事関係、人身の自由に関するものは多いですね。弁護士接見の自由とか。典型的なのは「奴隷的扱いを受けてはならない」。これ世界人権宣言(第4条)です。それはもうはっきりしているわけでしょう。どういうことをしちゃいけないのか、っていうのがね。そういうものは裁判規範性が認められる。逆に、生活保護訴訟で難しいのは、「金いくらいくら」の額が争われちゃうと、そこまでは(国際間合意の)どこにも書かれていない。(国際間合意を根拠に)「金いくらいくらを生活保護費として請求する権利がある」といわれても、裁判所は「そうですね」とは言い切れない。それが裁判規範性の問題。だけど(サケ捕獲権確認請求で)いま言っているのは、裁判規範性じゃなくて、その前の、国内法的効力の中で、国際法と国内法の関係をどうみるか、という議論です。だから裁判規範性の議論とは関係ない。


フロア(朝日新聞)
次回の主張で国際法に基づいて権利の根拠を示す予定、とのことですが、今回の書面にもある「先住民族の権利に関する国連宣言」などから直接的に示す、ということになるでしょうか。

市川守弘弁護士
必ずしもこの3つ(UNDRIP・CBD・B規約)に限定しないと思います。もう一度洗い直して、どの法律が使えるか、弁護団で議論します。

フロア(朝日新聞)
「現行法上(ラポロアイヌネイションのサケ捕獲権は)認められない」とする国の主張に対し、原告は準備書面で、「それは違法だ」と反論している、との認識で間違いありませんか。

市川守弘弁護士
ありません。「アイヌにも国内法が適用がされて(サケ捕獲は)禁止されているんだ」と(日本政府が)いえば、それは明らかに国際的合意に違反しているんだから、裁判所は、国際法を担保していない国内法に対して、「それは違法」なり「その法律は効力がない」なり、判決しなければいけない。

フロア(朝日新聞)
「主張が違法」という認識で構いませんか? 記事に書くとき、「(アイヌ集団のサケ捕獲は)現行法上認められない、とする国の認識が違法だ、と原告は主張した」としたほうがよいのか……。

長岡麻寿恵弁護士
(被告が)違法な解釈を主張している、ということです。法規によってサケの捕獲を禁止している。その禁止法は、アイヌ民族に適用される限りにおいて、違法である——というのが正確だと思いますけど。……「サケ捕獲権を一律に禁止する法律をアイヌ民族に適用することは、国際法に反し、違法である」と。被告の主張自体が違法行為である、ということではありません。

市川守弘弁護士
今回の準備書面22ページで、「したがって、被告日本国が、真実、現行法制度は、アイヌの集団及び個人を含めてサケ漁を禁止しているとする見解に立っているとすれば、現行法制度自体が国内法的効力を持つ国際法に明確に違反する違法・無効な制度である、と言うほかはない。」としました。

長岡麻寿恵弁護士
現行法が違法・無効なんであって、国がそう主張すること自体が違法行為と言っているわけでない。


フロア(NHK)
原告側ははじめ、きょうの準備書面で慣習法と国際法に基づいて主張する予定、とされてました。慣習法だけに絞った理由は何ですか?

市川守弘弁護士
深い意味はありません。慣習法の中でも国際法の議論をしなくちゃいけなかったし、裁判所も慣習法の論議を認めやすいかなと考えました。

フロア(NHK)
アイヌ民族にも一律に法律(水産資源保護法)を適用することの是非に触れないと、今後、議論が難しくなってくると思います。国はずーっとそれを避けていくつもりでしょうか?

市川守弘弁護士
私もそう(議論が進まないと)思います。国がどう回答してくるのか、反論してくるのか、ぜひ国側を取材してみてください。そこが一番気になるよね。

フロア(NHK)
こういう場合って、原告に「法的根拠を示せ」と求めるパターンと、被告側に「違法ではないことを証明せよ」と求めるパターンがあると思います。今後の展開について、きょうの裁判長の印象とかもどうだったのか……?

市川守弘弁護士
被告が「とにかく法的根拠を示せ」って言っているから、こちらは、まず慣習法があります、と主張しました。向こうが「法的根拠はない」という反論をしてくるのか、その論拠に何を持ってくるのか、そのへんはよく分かりません。国が先住権を認めない根拠ははっきりしているんです。「権利の主体となるアイヌ集団がもはや日本には存在しない」というのが(日本政府の)公式見解なんです。内閣官房アイヌ政策推進会議の作業部会で、(明治〜昭和期に大学研究者らが各地のアイヌ墓地を発掘するなどして収集した)遺骨の返還について、諸外国では、たとえばアメリカではインディアントライブなどの集団に返すことになっているけれども、日本では、コタンあるいはそれに代わる受け皿となる集団がもはや存在しないんだ、だから返すべき権利主体がいないんだから、しかたないから民法に従って祭祀承継者に返しましょう、って言ってるわけ。


「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的な考え方について(平成25年6月14日、政策推進作業部会)」
……海外では、遺骨の返還に当たり、民族又は部族に返還する事例が多く見られること、また、アイヌ民族においても、かつてはコタンを単位として祭祀を行っていたこと等を考慮すると、コタン又はそれに対応する地域のアイヌ関係団体に遺骨を返還することが、アイヌの精神文化を尊重するという観点からは望ましいとも言える。
一方、現実問題として、現在、コタンや、それに代わって地域のアイヌの人々すべてを代表する組織など、返還の受け皿となり得る組織が整備されているとは言い難い状況にあることも考慮する必要がある。


つまり、日本には集団の権利を認めるべき権利主体がいない、っていう。だから、(本裁判でも)国側はいつかはそういう主張をしてくるんだろうと思います。

フロア(ジェフ・ゲーマン北海道大学教授)
国連宣言採択時に日本政府が賛成票を投じた際に、3つの条件を出したと聞いています。(1)集団的権利を認めない、(2)国内法と抵触する場合は国内法を優先する、3つめはいま忘れましたが(笑)、こうした条件には何かの効力があるのでしょうか?


「被告ら第1準備書面(令和2年12月11日)」
……我が国は、先住民族宣言の採択に賛成したが、その際、我が国の立場を下記のとおり明らかにした(乙第17号証の1及び2)。

「第46条の修文案は、本宣言に規定されている自決権が、居住している国から分離・独立する権利までをも先住民に付与するものではなく、領土の保全・政治的統一性を害しないものであることを、正しく明確にしている。日本国政府は、この理解を共有しており、修文を歓迎する。
本宣言中には、いくつかの権利を集団的権利として規定しているが、集団的な人権という概念は国際法において広く認知され、各国が受け入れたものとはいえない。しかしながら、日本国政府は、先住民を含む全ての人が国際法において基本的な人権を有すると認識しており、また、強調したい。
この観点から、日本国政府は、本宣言の指向する考えに留意しつつ、先住民を構成する個人が宣言中に規定されている権利を享有し、また、いくつかの権利について、これら個人は、同じ権利を持つ他の個人と共に、権利を行使することができると考える。
日本国政府は、本宣言に規定される権利が、他の個人の人権を害するものとなってはならないと考える。また、我々は、所有権に関しては、各国の確立した民事法制等によって権利の内容が定められていることを認識している。したがって、日本国政府は、本宣言に規定されている土地等に対する所有権及びその他の利用権については、その行使のあり方も含め、第三者の権利及び公共の利益との調整及び保護の観点から、合理的制約に服するものと考える。」


市川守弘弁護士
国際法の直接適用の問題で、すでに国際法関係の学会ではだれも主張していないんだけど、裁判所が主観的要件として「国家の意思」をいちおう掲げるんですよ。今の場合、仮に国際間合意を裁判規範として直接適用して——たとえば先住民族権利宣言26条3項によって原告は権利を持っていると言えるかどうか——そんな判断をするときに、「国家意志はそこまでは認めていないですね」と言われる可能性はありうるでしょう。(国際間合意を)裁判規範としていいかどうかを判断する要件として、「国家の意思」が挙げられる。ただし、いまゲーマンさんがおっしゃった(日本政府の出した)「条件」、「国内法に抵触する条項は認めない」などといった条件は、かなり問題がある。憲法>国際法>国内法という効力の順番は決まっているわけですから、それを言い出したら……。たとえば温暖化防止枠組み条約だって、「国内法に抵触するから守らない」って言ったら、国際的に袋叩きにあいますよね。(UNDRIPに対して)そういう解釈を今後もとれるのか……。「集団の権利は認めない」といったって、さっきも言ったように、企業集団の政治献金は認めている。本当にそれが通るのかっていう問題はあるでしょう。国が(原告に対する)反論でその条件を言い出してきた時には、こちらもそれなりの再反論をします、ということです。


フロア(HBC)
今回の準備書面を慣習法に絞って作られた理由を「裁判所が認めやすいから」とお答えでした。逆に一番裁判所に認められにくいのはどれでしょうか? 被告・国側が狙ってきそうなポイント、とも言えるかと思いますが。

市川守弘弁護士
分かりません。ぜひ国側を深く取材してみてよ。いったいどういう戦略でこの裁判に臨んでいるのか、そこを見極めて判断していったほうが、いい番組がつくれると思いますよ。この裁判は、日本で初めての先住権裁判で、ほとんどの人が考えてこなかった。学者もあまり考えてこなかった。裁判所も考えたことがなかった。そういう未知の領域なんです。その意味で、すべてに手こずるんだけど、やりがいはあるし、ぜひみなさんに注目して、独自の観点で取材をしてほしい、そう思います。

フロア(HBC)
差間さんにうかがいます。これまでの国の主張を、どのように聞いておられるでしょうか。

差間正樹ラポロアイヌネイション会長
私自身は、十勝川の河口域で暮らしていたアイヌの子孫でありますし、私たちと一緒に活動しているみんなも、それぞれがアイヌの子孫です。私たちの先祖はコタンを形成し、集団で暮らしていた。その子孫である私たちだって、現にアイヌの先住権を所有する集団なんだっていう考え方でおります。


フロア(北海道新聞)
慣習上の権利として民法上の判例で認められているものに、入会権があります。それに拠ってしまうと日本の実定法に従う印象が強まってしまうから(原告が本訴訟で主張の根拠とすることを)避けているのかな、と想像しますが、解説いただけますか。

市川守弘弁護士
民法上も漁猟権は入会権ではないですよね。

フロア(北海道新聞)
識者によっては、サケの捕獲権も入会権で扱える、とおっしゃる人もいます。

市川守弘弁護士
それはちょっと乱暴な議論でね……。先住権が、コタンの主権を根拠に認められるものなのに対して、入会権は、このような主権とは関係なく、利用権として認められているものです。この点に基本的な違いがあり、両者は似て非なるものだ、ということです。


まとめ・北大開示文書研究会