裁判の記録

第3回口頭弁論 2021年3月4日(木曜)14:00

長根弘喜ラポロアイヌネイション会長の意見陳述

意見陳述書

ラポロアイヌネイション会長 長根弘喜

私は現在ラポロアイヌネイションの代表をしています。ラポロアイヌネイションは、もともとは浦幌アイヌ協会という名称で、長年、差間正樹さんが代表をしていました。

私たちは、北大や東大によって浦幌町から持ち去られた先祖の遺骨102体の返還を実践し、さらにサケを獲る権利を求める団体としての気持ちを強く表すために、2020年、会の名称をラポロアイヌネイションに変更しました。

私の父は喜一郎といい、長い間、浦幌アイヌ協会、かつてはウタリ協会と言っていましたが、その会員でした。

父の母親は、喜代野といい、幕別の白人(チロット)コタン出身です。父親は源次郎といい、十勝太(トカチブト)アイヌでした。

私は、自分がアイヌだということはわかっていましたが、アイヌだからといって、そのことを特に意識して生活したわけではありません。

祖母の喜代野が十数年前に厚内で亡くなった時、遺品の中からたくさんの写真が出て来ました。写真には、アイヌの既婚女性がよくしていた、口の周りに入れ墨をした女性が写っていました。裏に書かれたメモに「フチ」というアイヌ語も書かれている写真もありました。

私の母が、写真を見ながら喜代野のことをいろいろ話してくれ、私はだんだんアイヌに興味を持つようになりました。

私は高校を卒業し、その後数年間は更別で酪農のヘルパーなどをしていました。厚内で叔父が漁師をしており「手伝わないか」と声をかけてきてくれたので、厚内に戻り、今は漁師をしています。

差間正樹さんが網元のサケの定置漁業や、叔父がやっているカニ漁、シシャモ漁、ツブ漁などの漁師として働いています。

漁師になって知ったのですが、漁師は全員がマキリという小刀を腰に差しています。マキリの鞘には彫刻がしてあり、私は自分のマキリにアイヌ文様を彫り、今も漁のときには腰に下げて使っています。

私がアイヌであることを強く意識するようになったのは、やはり遺骨の返還からでした。先祖の遺骨が大学教授らによって発掘され、持ち出されていった経緯を知って、まず、「ひどい話だ」と強いいきどおりを感じました。

遺骨返還が決まり、浦幌墓地に迎え入れるにあたり、会の皆と一緒に再埋葬や儀式の準備をしました。細い柳の木を伐りだしてイナウを削ったり、カムイノミやイチャルパの練習をするようになって、だんだんアイヌの長い歴史やアイヌの文化、伝統を考えるようになりました。そして、「アイヌとして生きることはすごいことだ」「俺はアイヌなんだ」ということを強く自覚するようになりました。

昨年は、アイヌの伝統的な丸木舟を会員のみんなで作り、この丸木舟を使って浦幌十勝川で160尾以上のサケを捕獲しました。漁師として海ではサケを獲っていますが、アイヌとして、私の先祖と同じように川でサケを獲ることは、全く違うということを感じました。

川でのサケの捕獲はアイヌの文化そのもので、サケの捕獲にアイヌとしての誇りを感じました。先祖と同じようにサケを獲り、神に祈り、カムイノミをしながら、「俺はアイヌだ」と体が震えました。アイヌとして誇りをもって生きるためには、私たちに和人とは違う、サケを捕獲する権利が絶対に必要だと思いました。

私は最近、サケの資源保護についても考えるようになりました。何年か前に、大雨がありました。そのとき、放流されたサケの稚魚のほとんどが水かさを増した川に流されてしまいました。しかし、自然産卵の天然のサケは大雨の後も川で見ることができました。

放流の稚魚か天然の稚魚かは、大きさが違うので一目で区別できます。私はその時、やはり天然のサケの方が生存率が高いと分かりました。これまで行われてきたサケのふ化増殖事業が本当にサケにとって良いのかを考えるようになりました。

これからも勉強しながら、サケの資源をどのように保護していくのかを、ラポロアイヌネイションとして考えていきたいと思っています。


Raporo Ainu Nation’s lawsuit over indigenous fishing rights: Statement of Opinion of Mr. Kouki Nagane (Chairman, Raporo Ainu Nation) (March 4, 2021)